小記事・雑文 ~JRたちの責任~
ローカル線の存廃、存続方法の問題に触れるなかでどうしても避けて通れないのがJR北海道のこの11年だと思います。
なぜ、JR北海道は11年前に「石勝線列車脱線事故」を起こし、それがなぜ現在のローカル線問題につながっているのか
noteの別記事でも触れましたが、もうちょっと情報を追加しながら私の考えを整理します。
<主たる論旨>
・何を目的として鉄道を残すのか
・どうやって残していくのか (マガジンの主旨)
についての
・事業者・行政(自治体)・マスコミの関係と責任 についての私的見解
*今回は詳細な資料等は転記しないのでそのままダァーッと読んでください
(後日まとめるつもりはある、つもりはあるんですよ・・・)
これは noteで下書きしてる別記事の一部なんですが今日のローカル線問題についての「JRの責任」についてまず触れたいと思います。
■ JRの責任
◯線区別収支 という考え方がなかった
JRは北に限らず「線区別収支」という考え方がそもそも近年になるまでなかったんです
だからこの路線でいくら儲けている・損しているというのは誰もわからなかったし、今の計算方法も「考え方のひとつ」であって、きっぷという商品の特性上正確な把握なんて出来ないし、ある一定の考え方に基づいた数字の抽出・集合にすぎません。
公表されている数字、全線区足してみてください。全社の運輸収入と整合しませんから。
これを読んでいる方には釈迦に説法かもしれませんが、事業者側も自分たちがどれくらいヤバいかわからない、伝えるツールもない、したがって誰も知らない そんな状態がつい10年ちょっと前まで続いていて
それでとうとうアカンというところまで来て、石勝線の事故が起きてその経営体質が第三者委員会から厳しく批判されるに至りました
◯残念に思うこと+JRの責任の本質
そして、JR北海道は再生推進会議からの提言を受けてようやく「単独では維持困難な線区」を発表できるようになったのですが
私が残念に思うのは、あのような事故が起こるまでJR北の誰もアクションできなかったということです
そういう会社体質であったことは客観的な事実です、これがJRの責任の本質です
確かにこの「単独では維持困難な線区」の発表という出来事は、現在に至るまで大なる影響を与えるものであったと認識していますが、たとえそれが以後の話し合いのベース(費用負担等)になったとしても、これを「功績」と評することは申し訳ないのですが、出来ないです。
JRは勇気を持って、移動を担保する交通事業者として、あんな悲惨な事故が起きる前に自らアクションすべきだったのです
たとえば第三者委員会でも指摘されたような安全投資への認識の甘さは、鉄道事業者として正当化されることは決してないでしょう
◯そして・・・
当然、アクションにはリアクションが付きもので、維持困難ですと言われた自治体、石勝線の事故(+その後立て続けに起きた不祥事・インシデント)を痛烈に批判してきた地元紙(北海道新聞を筆頭に)から猛烈な反発が起きました。
■自治体の責任
自治体は「維持困難な線区」の発表を受け、もちろんのことそれを黙って受け入れるはずはありません。政治的にそれは許されない態度なのは理解できます。
しかし、彼らは後述するメディアの尻馬に乗って「協議のテーブルにはつかない」「話にならない」「まず企業として襟を正すのがスジだ」というような実益のないポジショントーク、弱い者いじめに思える言動に終始しました。これが自治体の責任です。
(弱い者いじめ、といいましたがもしかしたら逆かもしれませんね。JRとは強固強大な企業体であって、沿線自治体は財政基盤も脆弱で小規模。弱者ポジション装ったオフェンシブな行動であったと解することも出来ます)
例をあげますと、日高本線については2015年に連続する台風の被害をうけ線路・路盤の大量流出が起こりました。現場の写真を見てびっくりしました。
テトラポッドのすぐ脇に線路が通されていて、なおかつそのすぐ奥側には立派な国道があるのです。
これでJR北海道は莫大な復旧費、こういったことが起こらないような防災費を拠出してまでこの線区を維持するんですか?という根本の問が初めてなされた線区と私は捉えています。
ここでも「地元住民の足」「観光資源」そういった紋切り型の”残す理由”が声高に叫ばれました。日高線の問題で特異なのは、それを主導したのは共産党系の市民団体であって、それをマスコミがしきりに取り上げ、行政に食い込ませ、煽りに煽って問題解決を長期化させたという点です。
普通に考えて、こんなの無理筋も良いところで、
防災費(護岸)を投じないと復旧する意味がない
↓
復旧費を投じても乗車が少ないのでは事業をやる意味がない。
ただ当時の北海道地元メディアはそのような問題には触れず、ひたすら市民団体と行政の声ばかりを取り上げていたように思います。
そんなメディアの尻馬に乗って、廃止届が出されるまで6年という時間を空費したことはまぎれもなく自治体の責任です
■メディアの責任
個人的には彼らには強く責任を感じてほしい。罪悪感を感じてほしい、と言ってもいい。
「単独では維持困難な線区」の発表から6年間ほどの間、彼らは決してJR北海道の経営努力を認めることをしませんでした。
主にインターネットを軸とするサービス展開と、旧来サービスの改廃にあたっては
「インターネットを使えない高齢者はどうする」
「弱者の切り捨て」
「公共交通機関としての責任を果たせ」
こんな言説が公然と、紙面に載っていたのを覚えています。
そしてその文脈は、必ず *石勝線の事故などの重大事故を起こしておきながら、という透明な但し書きに結び付いていました。
そもそも「鉄道は維持できないからバス転換なり、他の手段なりの導入に協力するよ」という報道は決して好意的に報道されることもなく、たとえ幹部級の社員を、バス転換をいち早く夕張市に出向させるという英断をくだしたことについても肯定的に書かれていなかったと思います。
まとめると利用実態への知識もない、JRになんでもかんでも背負わせすぎ、JRがやろうとしていることは報じない、こんな恣意的な結論ありき(JR批判)な報道がまかり通って良いのか、と憤りを感じるほどです。
彼らは自分の書いたこと言ったことに責任を取りません。そんな人たちに何を語る資格があるのでしょう。
また、彼らは「維持困難な線区」でなんとか鉄道を残そうとする一般人の取り組みが大好きで、特集記事もつくります。
で、まあ大体そういう取り組み長続きしないんで潰れるところもあるんですけどそんなのは報じない。
「JRは地域を破壊する、衰退させようとする悪で、我々はそれに立ち向かう善なる精神を持つメディアなのだ」という思い上がりによって書かれた記事が、地方議員にとりあげられ議会にかけられ仕方ないから自治体はJRに要望書や質問を送る、全国でよく見られる光景です。それで何の責任を負うことなく生きている。
個人的にはこれが本当に許せない。
■まとめ
今回取り上げた事業者・行政・マスコミ、三者それぞれに問題をこじれさせた責任があるのです。
最近ではメディアもソフト化していて、脊髄反射のように「廃線まかりならん」という論陣をはることもなくなってきたかなと思いますが、このように冒頭申し上げた「事業者・行政(自治体)・マスコミの関係」 については一者だけが悪かったわけではないし、三者三様の責任があるのです
それをほじくりかえしたり、大昔の(国鉄改革の)話を持ち出すことは今を生きる誰のためにもならないし、大目的である公共交通を守るためにちゃんと過去ではなくて現実に目を向けていこうぜ!ということで今回の小記事・雑文を終わります。
パスタライオンでした
近頃寒暖差が激しいのでみなさまお体ご自愛ください
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