地方のローカル鉄道はどうなるのか、またはどうあってほしいか⑥ 誰が何のために残すのか
こんにちは、晩秋のパスタライオンです。季節は駆け足、もう冬の気配です。お風邪など召されませんようお気を付けを
今回は、地方の鉄道やローカル線を残す際に「議論のキーポイント」になる点・ならない点をご紹介します。
・ キーポイントになるもの 誰の利益になるのか
このnote記事で触れた、国が実施したアンケートの結果です。
「自治体さんって鉄道の何がイイと思ってる?」ってことを聞いたもので、その回答がこちらになります。
個人的に思うことはあるものの、これが本当に「地元の真剣に考えた末での意見」ならそれは尊重しなければならないと思うわけです。
で、
たとえば、地域のランドマークになるからという理由で鉄道残したいですって理由だった場合、かかる費用はその地域で出すべきだよねっていう受益者負担+応益負担の原則的なものを考えなければならないです。鉄道があることで誰の利益になるのか、これがキーポイントです。 鉄道があることで鉄道会社の利益になっていないから現状議論が必要になっているわけです。
ランドマークの機能"しか"ないのであれば、列車が運転されている必要はなく、駅舎を自治体で買い取り維持すればいい。学生しか乗りません、なら教育委員会が移動手段を確保したら良いんじゃないかな、病院に行く人しか使いませんなら福祉課が…というのがスジだと思います。
鉄道事業者には、就学通学や通院など地域生活を支えるプロフェッショナリズムはあっても、義務はありません。私は、イチ民間会社に押し付けていた支出を正当な財布から出せと言っているだけです。シンプルでしょ。
・ キーポイントにならないもの JRグループの黒字
この記事(② 誤解をほどく)でも書きましたが、JRグループでは大儲けしているんだからそれで維持しろ、という意見は通りません。
なぜなら、いま議論の対象になっている線区は、鉄道をやる意義が消失しているんじゃないかと疑義が呈されているわけで、全体としての黒字から補填すれば維持できるよねって話とはまったく別の話なんです。
「鉄道をやる意義って何?」それは定時+大量輸送です。列車なんていう馬鹿げた鉄の塊を運転し、それが安全に高速に運動するための線路という専用路を確保し、利用するために駅という専用乗降設備を設け、それだけの土地を確保し、設備を維持し、そのための人員も大量に必要となる。産業革命の生み出した鉄道というのはなんというバカげた装置なんでしょう…それが必要となるのは、大量の輸送需要があってこそであって、鉄道でなければ運びきれない人数が一斉に、定期的に、A駅からB駅に移動するって形態が実在しないなら、こんなバカげた装置は必要ないんです。環境負荷にしたってそうです、大量に使う前提であれば一人あたりがA駅からB駅まで移動するための排出CO₂も希釈されますけど、そうでないならあんな巨大な鉄塊を動かして環境にいいことなんてありえない。しかも、これ移動するときの排出CO₂とかNOxですからね。施設や設備、大型構造物の建設、維持補修にかかわるものは除外されてます。私は鉄道会社で働いていて、鉄道自体がエコだと思ったことは一回もありません。
いいですか、もう一回言いますけど、鉄道というのはクソバカげた装置です。正気の沙汰でこんなもの動かしてられないくらいバカげているものなんです。
・あわせて考えると
鉄道会社が止めたいといっているものを、「続ける価値がある」と説得する責任は、続けてほしいと言う側にあります。
その「続ける価値」に応じて、利益を受ける側が
血と汗と涙を流せ(コストと労力と情熱をかけろ)
ということです。
しかし流せる血と汗と涙には限界があるわけで、そこで鉄道というバカげた装置が本当に必要なのかどうか、地域のシンボル、地域の足や観光振興、そういったものを充足させるために、鉄道というバカげた装置が本当に必要なのか真剣に考えましょう。地域を守るために。レールの先に未来がなくても、そこらへんの道の先にはあるかもしれないよ、という考えのパスタライオンでした。
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