いまさら真面目に読む『美味しんぼ』各話感想 第16話「幻の魚」
「初期の『美味しんぼ』からしか得られない栄養素がある…そんなSNSの噂を検証するべく、特派員(私)はジャングルへ向かった…
■ あらすじ
頃は9月、栗田の入社そして「究極のメニュー」づくり企画の始動からそろそろ半年が経とうとしている。もともと東西新聞の創立百周年記念事業としてスタートしたものだが、これまで表に見える進捗が一切ない。せいぜいが一案として、中華の豚バラ煮込み(東坡肉)はどうか、といったくらいである。これまで取材等を続ける中で、銀座デパートの板山社長や在日華僑の顔役である周大人そしてサツの中松警部らと縁をつなぐことが出来てはいるもののあと半年で「究極のメニュー」を完成させるというのは事実上不可能であると判断せざるを得ない状況にある。
大原社主が招かれた席である、火災にあった料亭「初山」の営業再開の披露宴席に相伴した文化部谷村部長+山岡・栗田は、その事情を大原社主に相談すると、意外にもあっさり「二年、三年かかろうが納得のいく物を作るべきだろう」と周年事業としての看板を降ろすことに同意する。(往々にしてこういうのは他の部署にしわ寄せがいく…)
さて、広間に通された後席についた大原社主らであったが、そこにはもはや社の敵といっても差し支えない存在である海原雄山の姿があった。雄山は大原社主らをねめつけると開口一番「食べ物の味もわからん豚や猿を、私と一緒の席に着かせるのか!!」と「初山」の亭主を怒鳴りつける。
まあまあと執り成しを得て、恙なく宴席を始めることができた。いやなオープニングであったが、こういう時、料理の力はすごい。素晴らしい器、美しい盛り付け、美味しい料理…あっという間に場は和んでいく。雄山も大原社主らも舌鼓をうち上機嫌だ。「初山」の再出発にふさわしく、誰もがその味に賛辞を送り、話も盛り上がってきた頃に一人の客がふと話を雄山に向けてみた。「いったい何の刺身が一番うまいものなんでしょうか?」確かにこれは気になる、美食の王である雄山をして一番と言わしめる魚とは?雄山は鷹揚に答えて、美味い魚を言い並べて見せる。
来客への酌に回っていた亭主が山岡にも酌のついでに「若い方などはいかがですかな?」と話を振ると、山岡は雄山の意見など意に介さずに「今まで食べた中では鯖の刺身が一番美味かった」と答える。厳選されたトラフグなどの話をしているときに鯖ってお前…ということで当然、美食を飽きるほど食い尽くしてきた客たちは驚き、あざける。雄山に至っては「だから味のわからん豚や猿だというのだ!」と大笑い。果ては「食あたりを起こすわ!」と一笑に付し殊更罵る。客らもお追従もコミで雄山に同調し、嘲笑する。
ここで山岡のスイッチが入り、「●●日後また来て下さい、本物の〇〇を味わわせてあげますよ」モードに突入する。前回が山岡の渋い大人の振る舞いを演出する人情系のストーリーであっただけに、ヒートアップして口角泡を飛ばす雄山・山岡親子がガキの喧嘩をしているようにしか見えない…が、ともあれ賞味勝負の場に「葉山の幻の鯖」を用意することに成功した山岡は、雄山、「初山」亭主にその「幻の鯖」を振る舞う。
その姿からして威風堂々見事なもので、「初山」亭主などは魚体を見ただけで「これが鯖か」「こんな鯖は見たことがない!」と驚嘆する。そしてそのお味は…
「これに比べると、このあいだ頂いたマグロは、幼稚な味に思えてしまう」
発言者は正確にはわからないが、谷村部長の言でないことを切に願う。
谷村部長は「これに比べると山岡さんのアユはカスや」の螺旋に入りこまないでいてほしい。ちなみに「このあいだ頂いたマグロ」というのは「初山」の宴席で供されたものである、亭主がすぐそこに居るのにさぁ…
場のすべての人間が鯖の刺身の美味さを認め、「味のわからん豚や猿」にやりこめられた格好となって面目が潰れた雄山は
子供か!っていう捨てぜりふを残して、席を立つのであった。山岡が食についての見識で完全に雄山の上を行った初めてのシーンである。(第7話(大原社主が「味のわからん豚」認定された話)はあくまで場外戦。)大原社主も豚呼ばわりされた意趣返しが出来た格好となってご満悦で「ふっふっふ、さながら葉山の海の勝利というところか」などと余韻にひたる余裕さえ取り戻した。
後日、雄山は賞味勝負の場となった料理屋に立派な皿(おそらく自作)を贈り、器のせいにしたことを詫びるかのようであったが、しかしこの皿はどこかしら「幻の鯖」という市場の宝を盛るに相応しい造形であるように思う。
◆ 「美」を理解し、それゆえ苦しむ山岡
雄山vs山岡の話はいつも1コマ1コマが濃い、濃ゆい。「初山」の宴席で供された料理が盛り付けられていた器にも注目と賛辞が集まる中、それが雄山の作であることを山岡はひと目で見抜くのだった。
山岡は家を飛び出す際に片っ端から雄山作の美術品を壊していったというからこれはそれ以降の作なのだろう。つまり山岡はこの器を見たことはないだろう。でも雄山の作だとひと目で理解し、相手への憎悪はさておき、その作品を不当に貶めるマネはしない。
ここで山岡が「こんな器クソでしょ」と言い放ってしまえるなら、もうすこし気楽に親子関係を捉え直すことも出来たかもしれない。でも、山岡は感じたことに素直であり「言わずにはおれない男」だから、ひとりの芸術家としての海原雄山への評価を不当に貶めることはないし、ひとりの人間としての海原雄山を決して肯定しない、憎悪を隠すこともない。山岡の葛藤は、彼が「美」を理解できる卓見が、かえって雄山へのコンプレックスを産んでいるのでは…と思わされるシーンだ。こういった心情を少ないコマで表現できる初期の『美味しんぼ』はほんとうに素晴らしい作品だと思う。
◆ サバの生食の危険性
サバは「生き腐れ」と言われるほど劣化が進みやすい。鮮度を保つために出来ることといえば、釣ったらすぐシメて、エラ内臓を取り、血抜きをして、冷やす。これしかない。言ってみれば当たり前の工程でしかないのだが、サバに限らず青魚は体内に自分の腐食を進行させる酵素を持っており、その酵素によって分解されたタンパク質がアレルゲンとなってアレルギー反応を引き起こすのだ。(ヒスタミン食中毒 厚労省サイトへリンク)
新鮮ならば安全か、といえばそうではなく鯖はアニサキスが大量にいる。だから酢締め等の処理をして殺虫してきたのだが日本人の生食に関する欲求は異常なレベルであり、なんとか鯖を生で食べようとして胃壁に穴が開けあれてきたわけである。
…でも「お前らトラフグの肝が食えるとなれば●●〇〇の会に入会して食う人種だろ?」って思いもします。鯖だからそこまでしないんだけで。
◆ それでも生で食べたい! JR西が手掛けた「お嬢サバ」
しかし、どうしても鯖を生食したい!酢の手助けなしに、ピュアにプリミティブに生で!という異常なまでの欲求は、ブランド鯖を商品化するに至った。そのブランドの名は「お嬢サバ」 寄生虫がつかないことに徹底してこだわった完全養殖の鯖だ。言ってみれば本編での「幻の鯖」の量産を可能としたのである。この「お嬢サバ」事業はなんとJR西日本が手掛けている開発事業なのだ。(リンク参照のこと)
JR西日本の手による魚の養殖事業はPROFISHと銘打たれ、これまで生食不適とされてきた魚種を安全に生食できるようにするというものでは、サクラマスやサーモンの開発・流通にも成功している。すごいねJR。
◆ 個人的体験 生の鯖
実は私も生の鯖の刺身を某所で食べたことがある。タイ、シマアジ、トラフグ等々といった本編で最高の魚として列挙されていた魚と比べてどうだったかとはわからないし言えないけれど、香りのいい甘い物体が溶けながら喉を滑り落ちていく感覚は私の狭い人生の中で唯一無二のものだったと記憶している。香りがいい、これが重要なところだと思う。「私はいま青魚を食べてまーす」という意識や感覚がまったくない。高貴な味とか、そういうのはよくわからないが鯖の刺身は直球でうまいものを口の中に叩き込まれた気がする。口中に福を囲う体験だった。
そして雄山も認めている通り、鯖寿司もうまい。焼いてもうまい、干物にしてもうまい、煮てもうまい…あなたの中で何が一番の魚と言われたら鯖が候補に入るかも。それくらい多岐にわたるバリエーションを楽しませてもらえる魚、鯖。下魚だのなんだと言わずに、美味しく食べよう!という学級会並の感想で今回はおしまいです。
◆ 今さら読む『美味しんぼ』
これまでの各話も感想をマガジンにアップしています。他の話もよろしければ是非!
◆ 私の本業は…
・実は、本業は…
私の本業は観光促進、移動交通におけるバリアフリーを目的とする組織のイチ職員で、食い物のことに関しては偉そうに話せる立場にないんです。
≠鉄道オタク の視点で、日本の鉄道はこれからどうなっていくのか、特にローカル線って維持するのがいいの?すべきなの?っていうところを考えるためのマガジンも作っています、もしよろしければ是非以下を…
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