カフカズ・ディック
戯曲書きます宣言をして3週間ほど経過した。少しずつ書き進めているが、まだ終わる気配はない。
こんなこと言うと、どえらい大作を書いているみたいだが、単純に筆が遅いだけで全然大したボリュームではない(いまのところ)。
さて、戯曲を書こうとは言ったものの、「戯曲ってどんな形式で書くんだっけ?」となった私は、ひとまず出版されている戯曲を読むことにした。近くの市立図書館に足を運び、「あー、近松門左衛門とかあるんだ~。ちょっとハードル高いな~」なんて思いながら人がほとんどいない戯曲コーナーをしばらく独占し、数冊の本を借りた。
そのうちの1冊がケラリーノ・サンドロビッチ作「カフカズ・ディック」だった。
ケラさんの喜劇が面白いことは当然知っている。時効警察などケラさんが脚本を担当したドラマも好きだった。高校時代の同級生だった音楽オタクが有頂天(かつてケラさんが組んでいたバンド)のCDを貸してくれた縁もある(というか『ケラ』の存在を初めて知ったのがその有頂天のCDだった)。そのうえフランツ・カフカも好きなので、「これはいいじゃない!」とすぐに決めた1冊だった。
フランツ・カフカの晩年の苦悩、病魔と孤独に蝕まれていく身体、そしてそんな彼の周囲を取り巻く友人、恋人、家族・・・そんな人々の悲喜こもごもをユーモラスに描いた作品で読んでいてとても面白かった。
ただ、これは私が読み物としての戯曲を読んだ経験の少なさとちゃんと劇場で観劇をした経験の少なさによるものだが、やっぱり文面だと演出が分かりにくかったりするので劇場でちゃんと観たい!と強く思った。というか、戯曲を出版することの大きな目的ってそこ(劇場に足を運ばせること)か。特にカフカの精神世界を描くなかで現実と妄想、虚構内の現実と虚構内の虚構を行ったり来たりするので、頭の中でちゃんと舞台を想像できないと読み進めるのが厳しい部分がある。批判ではなく完全に私が至らない話で、作品はほんと面白かった。
これから戯曲を書くにあたり、標記の技法や舞台装置の描写、説明などとても参考になったし、自分でもこんな風に面白い作品を書ければいいなという刺激にもなった。また、久しぶりにフランツ・カフカ全集でも読もうかなという気持ちになった。といっても、iOSのBookアプリで無料ダウンロードしてたまに読んでは難しくて挫折するからちゃんと読み切ったことないけど・・・。
周囲に人がいるから孤独じゃない、わけではないんだよね。