下田くん
ふと、大学時代のことを思い出した。
当時の私は今に輪をかけて身なりに気を遣わない生活をしており、そんな自分を正当化するように「大学生になってオシャレしている奴らは建学の精神も忘れて女遊びにうつつを抜かしているんだ」などと悪態をついてはモノクロの日々を過ごしていた。
キャンパスは誰もかれもがどこかで見たような恰好をしているダビング大学生に溢れており、ヘラヘラしながらモラトリアムをふしだらに謳歌している様を(ものすごく羨ましい気持ちで)眺めていた。
そうしてダビング大学生を眺めていると、まれに良くも悪くも「こいつは空気が違うな」というオリジンを見かけることがある。
私はそんなオリジンの中でもお気に入りがいた。
彼は三浦春馬をもう少し可愛くしたような顔立ちのイケメンでスタイルも良く、そのうえいつもモード系のファッションに身を包すスーパーオシャレさん。私の知る限り、彼は大学イチかっこいい男だった。
私はそんなオリジンの彼に羨望のまなざしをむけつつ、「ああいうやつは外見に極振りして中身がないので、同じように中身のない女と遊んでいるんだ」などという謂れのない中傷を心の中でつぶやいていた。
超かっこいい彼に太陽フレア級の嫉妬の炎を燃やし続けた。
とはいえもちろん私はオシャレなんぞにうつつを抜かすことはなく、建学の精神を忘れずに学びの園に通っていた。
そして大学という施設に到着したことの達成感を大学の食堂で噛みしめて授業に出ることを忘れていたので、このままでは卒業までの単位が到底足りないといった状態だった。
そんな折に友人から「『現代美術への招待』って授業があって、出席してビデオ見て感想書くだけで単位もらえるんだよ」というタレコミがあった。
私は芸術に興味があったし、卒業までに到底単足りなかったのですぐに履修することを決めた。
ある日の授業で、稀代の天才建築家ガウディが設計した実業家のペレ・ミラ氏の邸宅「カサ・ミラ(ミラ邸)」についてのビデオを見てその感想を書いて提出するという課題が出されたことがあった。
ガウディは好きだったし、ビデオの内容も面白かったので感想を書くことは簡単だったが、芸術の授業ということもありちょっとエッジの利いた言葉選びをしようという色気を出して、なんか訳わからないこと書いた気がする。
翌週の授業で「先週の授業で出してもらった感想のうち、良かったものを紹介します」と先生が言い、私は「まいったな、紹介されちゃうか?」なんてそわそわしていた。
先生が「今回ね、すごい良い感想があって。今日出席しているかな?本人に読んでもらおう」と言いだしたので、私はドキドキしていたが先生が呼んだ名前は「下田くん」だった。
そう、その下田くんこそが、私が目をつけていたトップ・オブ・オリジンの彼だったのだ。
私の見立てでは「外身に夢中で中身カラッポくん」だったはずなのに、そんなに芯を食った感想文をこの男が書いたというのか!?
下田くんは恥ずかしそうに立ち上がり、先週提出した自身の感想文を先生から受け取った。
そして静かに読み始めた。
「カサ・ミラだけが生きていた。」
この後の内容は覚えていないが、この冒頭がかっこよすぎて今でもずっと頭から離れないくらいの衝撃を食らった。
区画整理された直線的な街並みにそびえる曲線だらけの豪邸。
たしかにカサ・ミラはバルセロナのグラシア通りで異様な存在感を放っている。
ミラ氏から当初言われていた予算をはるかに超越した金額をかけてこだわりを通したガウディの信念も肌で感じられるような荘厳たる見た目を誇るカサ・ミラ。
カサ・ミラなんてすさまじい建物なんだから評価する言葉はいくらでも出てくるのだ。だからこそ端的にカサミラを表せる言葉を冒頭にスパッと持ってきた下田くんのセンスに脱帽した。
「おいおい、こいつはルックスこんな良くて感受性もワードセンスもあんのかよ!」
と、下田くん改め下田きゅんの魅力にうっとりし、少しでも「オレの感想文読まれちゃうかも」なんて思っていた自分を抹殺したくなった。
…あれからもう10年以上経つ。私も下田くんも(下田くんが浪人生でなければ)32歳だ。
下田くんは今でも下田きゅんのままでいてくれているのだろうか。
それとも結婚して子供もできて、当時のギラつきはなくなったとしても良い感じにパパになっているのだろうか。
今でもたまにカサ・ミラとセットで下田くんのことを思い出すのだ。