キャンサーギフト
この言葉を初めて聞いたのは、初発の治療真っ最中のとき。
あるテレビ番組のタイトルだった。
キャンサーギフトなんて冗談じゃない、そんなことあるもんか!と心の中で強く反発した。
がんなんて、ギフトであろうはずがない。そうとしか考えられなかった。
神様。そんなものより、もっといいものちょうだいよ・・・そんな気持ちだった。
でも、治療が進むにつれ、その気持ちは少しずつ変わっていく。
がんがギフトなのではなく、がんがもたらしたもの、それにまつわるものががギフトなのだと気づいた。
周囲の優しい心遣い、同病の友の素敵なふるまい、前向きな様子。
治療が終わるのを辛抱強く待ってくれていた仲良したち。仕事に関して最大限配慮してくれた上司や同僚達。ギフトは有形無形、いろんな形で私に降り注いだ。がんになって初めて・・・というわけではないにしても、こんなに恵まれていたのだということをあらためてこのような形で知った。とてもありがたかった。
よく言われるけど、「当たり前」の反対語って「有難い」なんですよね。
その後、再発もしたし、軽微な方だとは思うけれど副作用もあるし、やっぱりがん治療は一筋縄ではいかないな・・・と思うことも多い。
それでも敬愛する先輩が抗がん剤治療中に、辛いかも知れないけれども「後ろや下ではなく、前を向いて」と伝えて下さったように、できればネガティブな気持ちではなく気持ちよく日々を送りたいと思う。
だって、どんな気持ちで過ごしても同じ24時間なのだとしたら、恨み節でなく楽しく納得のいく時間を過ごしたいから。
幸い、信頼できる関係を築ける主治医達との出逢いにも恵まれた。病気にならなかったら出逢わなかったひと達なのだな・・・と思うと、先生方に会わなくても良かったとはもはや思えないし、これもご縁なのだと納得できる。
ひとつ心がけていること。好きなひと達と過ごしたあとは、できるだけ笑顔で別れるようにしている。最期にどんな形で別れたかな?思い出したときに、あぁ、あのときあんな別れ方をしてしまった・・・と後悔したくないので。
「がんになったことは、不運ではあるかも知れないけれど不幸ではない」
私は最初からずっとそう思っている。自分が自分を不幸だと思ってしまったら、たぶん誰にも変えられないから。自分に呪いをかけるようなことはしない、そう決めている。
これから治療に向き合うひと達に伝えることが出来るとしたら。。
集中的な治療の間は、最大限自分をいたわって慈しんでほしい。
決して無理せず、辛いときは声を上げて周りに助けを求めてほしい。
必ず、終わりは来る。だから、一緒に乗り越えていきましょう。