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開高健の『闇』シリーズ

勝手にシリーズ化していいのだろうかと思うが、開高健の『闇』シリーズの最後、『花終る闇』を読み終えた。
こちらは、一冊に未完の『花終る闇』と『一日』が収められている。

『花…』については、女の殺し方がわからんと誰かに話したというエピソードを読んだことがあり、フサ、弓子、加奈子という3人の女性が登場するが、加奈子が『夏の闇』の「女」であることはすぐにわかる。

ドイツの大学での研究室勤務が決まり、束の間の帰国という設定。
西ベルリンの空港で別れて7年ぶりの再会。7年前の記憶を「明日の朝、10時だ」に至るまでの数週間を呻吟し、待ち合わせ場所のホテルのバーへ。
再会を祝し、「過疎の村」へ行かないかと誘いをかけたところで終わっている。
想像だが、この「過疎の村」で逢瀬を楽しんだ直後、加奈子が事故で亡くなったのではないかと思う。

そのまま、小説にするにはあまりにも生々しく、かといって別のストーリーも思いつかなかったのか。
あくまでも小説なので、どこまでが現実に起こったことなのかは神様しかわからないのだけれど。
未完の作品なので、いつもの開高作品のように印象的な一文で終わってはいなかった。

少年〜青年期の自伝的作品『青い月曜日』は「七月十四日であった」で締め括られている。

これらと並行して、吉行淳之介との対談『美酒について』も読んでいたら、ちょうど『青い月曜日』で読んだ箇所のエピソードが語られたりして、面白かった。
対談ものは、あまり面白いと思えることがないので敬遠しがちなのだけど、これは面白かった。というか、この場に居合わせたかった。

『一日』は、ベトナム戦争時に現地で知り合ったジャーナリストの死を描いている。
その事実は、エッセイなどで何度か書いていて私も知っていたが、前夜一緒に過ごした男がほんの「たまたま」の重なりで翌朝に亡くなったことの戸惑いや後悔、戦争という現実の厳しさのようなものがないまぜになり、なるほど小説になるとこういう描写になるのだと感じた。

開高健、稀有な才能の持ち主だったのだとあらためて思う。
情景や心情の描写、言葉の選び方が巧みで素晴らしい。直裁的な表現ではなく、品がある。こういう作家、今はいないよね。

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