あの一言
私は大学を出て、ある金融機関に就職した。
入社以来なぜか一人の専務にとても目をかけていただき、何かにつけて声をかけていただいたり、ご馳走していただいたり、ときどき呼ばれて訓示を賜ったりした。若い女性にとっては、時にありがたく、若干は煙たかったのだけれど、部長以下誰も専務に話しかけられている私が、仕事の手が止まっていても見咎めることはなかった。(縦割り社会だから、笑)
ある日、私の石橋を叩き割るごとく臆病な性格をよくご承知の専務が私に言われた。
『失敗することを恐れるな』
キミが失敗したら課長が謝りに行くし、それでダメなら部長がいる。それでどうにもならなければ私が出て行く。すべての責任は私が取るから、やる前から心配しなくていい。
このとき、自分がなんと応えたのかは忘れてしまった。たぶん「はい」と言っただけだったと思う。まだ駆け出しの社会人に、その言葉の本当の意味が伝わってはいなかったのかも知れない。そうだとしても。
『すべての責任は私が取る』
そうハッキリ断言した上司は、後にも先にも専務だけだった。
以来、その言葉を忘れたことはない。
社会人としてスタートした時期に、この言葉に恵まれたことは幸せなことだったと思う。
私は結局、3年半でその会社を去った。退職の意向を伝えたときも随分と気にかけて下さり、過分なお餞別もいただいた。年末に職場に顔を出せば、飯を食いに行こうと声をかけてくださった。そのとき私は同僚と約束があり、そうお伝えすると『なんだ、せっかくご馳走しようと思ったのに』と残念がられた。また今度な、と言われたがそのチャンスは巡ってこなかった。
その翌年、専務が入院されたことを知った。極秘情報だが咽頭癌らしいという。父を胃がんで亡くした私は、それを聞いて愕然とした。
社員はお見舞い禁止のところ、入院先の病院をある伝手を使って聞き出した私はこっそりお見舞いに伺った。オレンジ色のガーベラが入ったアレンジを手にして。元気になれそうなお花を…とお願いして作ってもらったものだった。
突然の訪問を専務に怒られるかと思ったけど、顔を出すと思いのほか喜んで下さり、手術は成功したようで少しだけお話も出来た。それがお会いした最後になった。
一度退院し、職場に復帰されたことは聞いていた。
ただ、あとで知ったのだが、そのとき信頼できる部下に「後を頼む」と託したということだった。覚悟の上での2週間ほどの職場復帰だったそうだ。
訃報が舞い込み、知らせてくれた後輩と一緒にお通夜へ向かった。
先輩や同僚、見覚えのある顔ぶれが少し驚いた目を向ける中で、お焼香したことだけを覚えている。
専務以上の存在感のある上司には、その後出会っていない。
ちなみに、もう一つ言われたことがある。
「デート代は男性に払ってもらいなさい」ということ。女性に負担させるような男とは付き合うな、と。同年代と付き合えば、お互いにお金もないのだから少しくらいいいじゃないですか・・・と、そのとき少し反論もしたのだけれど。
結局これも、今日に至るまでほぼ守っている。(笑)