できれば気取られずにいたい
本来、noteはクリエイターに開かれた場所である。
その中で、日々の雑感しか記さない私はいつもどこか場違いではないかという思いを拭えないのだけれど、何人かの方の投稿を毎日読み、時々コメントをするのが楽しいのでもはや気にしないことにしている。
目障りな方はどうかご容赦願い、スルーしていただきたい。
読み切れなくなってしまうので、あまり多くの方をフォローしているわけではないが、毎日思うところを投稿されている方には素直に感心している。
私の場合、なにか投稿したいと思う時は大抵愚痴=誰にともなく吐き出したいことが多いので。(苦笑)
そんななかあまりに忙しく、季節のことなど気にする暇もなく、記憶にも残っていないという一文に触れた。
長い人生、そんなこともあるよね、と思う。ひとそれぞれに。
そう反応しながら、内心では7年前のことを思い出していた。たまたま、FBのリマインドでその頃の投稿が最近出てきたからというのもある。
ちょうど7年前の今頃、抗がん剤治療後半戦の真っ最中だった。毎週1回投与で12回。あと2回を残すところでの投稿。
比較的緩やかな副作用と言われた薬だったが、時間とともにじわじわとボディブローのように効いてきて、最後の投与が終わったときは、ゴールに倒れ込んだマラソンランナーのような心持だった。
告知から放射線治療が終わるまで1年弱のあの時期、夏が暑かったのか何かトピックスがあったのか、まったく記憶にない。
阪神大震災の直後や友達が突然いなくなってしまったとき、仕事に忙殺されてストレスマックスだったとき、ぽっかり記憶が封印されている時期もある。きっと忘れるふりをすることで精神的なバランスを取っているのだと思う。あえて思い出さないようにしているというのが正しいのかも。
もともと、大騒ぎして周りに影響を撒き散らすのが苦手な性格。
できれば、何事もなかったような顔をしていたい。
強いと誤解されることもあるのだけれど、そうではなく、見栄っ張りなだけ。見苦しいのが嫌いなのだ。
抗がん剤治療のときも、ダーリンにこう言った。
自分で自分を可哀想と思いたくないの。
涙はごく近しいひとにだけ見せて、あとは飄々と振舞えたら。それが理想。
人間が出来ていないので、そううまくはいかないけどね。(笑)