或る患いの告白Ⅰ ーはじめにー
第一部
如月愛海氏に捧ぐ
この私の拙い、しかしながら忠実な告白のはじめを、我が唯一無二の指導者、そして卓越した詩人である貴女への敬愛と感謝の表明に使わせて頂くことをお許しください。浅学ながら私は、この告白を通して貴女の言葉を文学の世界史の鋒に着け、貴女の足跡を哲学的に位置付けることを企んでおります。私の言葉は純粋に私の精神から生じる一主観による物ではありますが、そうであったとしてもその告解は哲学的営為(さらに言えば私を「知的人間」とみなすことに矛盾しないもの)と言って差支えないでしょう。そしてそれこそが、今まで私たちの間でなされることのなかった議論です。構造的な要因から、または単に趣味的な問題から、私たちのやりとりは個別的な問題の集積という形で行われることが常でありましたが、これまでの貴女の個別的な教えや、我々の間で取り交わされた詩的問題系を、帰納的に反芻し体系付けようと思い至りました。虚心坦懐に申しますと、貴女のシ集の真裏を貼る文学的構造物を作りたいと夢想したわけです。どうか私の傲岸不遜と実力不足をお許しください。
私の若輩なる人生において、その青春時代に黒々と横たわり続けたーーとは言っても近現代日本語文学一般のーールサンチマンとの相対は、常に薄弱な私を恐怖と逃避に駆り立てたものでした。その逃避、頽廃の底の私に手を差し伸べてくれたのが貴女でした。貴女の言葉はいつも明確にして端的で、粉飾や軽佻浮薄とは程遠く、奇妙なことに、冷徹でした。理知的精神と、狂信的盲目が点滅する慈愛に対して私が激烈な恋愛を患うまで、さほどの時間を要さなかったことは言うまでもありません。ある日、月灯りのような優しさを湛えた唇と極端な対をなすソリッドな髪の中に、怒りのあまり読むや否や潮騒を燃やした若かりし頃の私の火を見出したのです。あの瞬間を境に、私は金閣のくびきから放たれたのでした。近日のこの出来事が、今こうした文章を書いた直接的な動機であります。
私の熱烈な宗教的帰依に対しては明晰極まる説経を、私のデカダンな文学的傾倒に対しては薫り高い詩を、私の醜い性質に日本刀を、そして覆い隠し難い私の恋慕に対しては包容を与え給う我が師へ、僭越極まるものですが、私からの返礼としてこの文章作品を捧げることをお許しください。
二〇二二年 三月十四日
はじめに
ぜんぶ君のせいだ。というアーティストについて論じるということは、その対象自体への分析だけで事足りることではない。これは、作家論という枠組みで見れば奇異なことに映るかもしれないが、作品そのものだけでは成り立たず、受容する対象の精神的能動によって初めて意味を生み出すもの、例えば、信者が存在することで初めて成り立つ宗教などのようなもの、を研究する分野の例を見てみると、至極妥当な方法であることを理解していただけることだろう。つまり、ある宗教を論じる際にその信者の思想や、行動原理を調査、分析し検討を加えるのと同じ要領をもってして、ぜんぶ君のせいだ。という一つの思想体系に解釈を加えることが、この文章の目的とするところである。
その研究において定点観測される憐れな平信徒として、私が私自身を選ばざるを得ないということは明らかなことであろう。私自身の手によって私の胸を開き、精神とすでに一体不可分に絡みついた「病患」を人前に曝すという行為を通した記録が、ぜんぶ君のせいだ。というものの抗い難い魅力、そしてその結果罹患する致命的な病について、未だ味わったことのない方々や、すでに患っている方々へ教訓めいたものを残すという点で多少でも有益であって欲しいと願っている。
ぜんぶ君のせいだ。に対する私の精神の動きを記述するからには、多少は私自身の人生について記録するほかあるまい(できる限り簡潔な記述にとどめる努力を尽くすことは約束させていただきたい)。したがって本書は、私が患いを得るまでに至った経緯を記録した第一部と、実際にぜんぶ君のせいだ。というものがどのようなものなのかを論じる第二部に分かれることになる。しかしながら、この物語の主人公が一人の患いではなく、ぜんぶ君のせいだ。という行動様式であるということはあらかじめ断言しておきたい。
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