見出し画像

キミ君シンドロームX論考ーびょーきなの君のせいだ。だよー

もし私たちが、     を選ばなかったら、

Ch. 1 キミの世界にあたし…

 ぜんぶ君のせいだ。というアーティストの楽曲の最大の特徴は、基本的に全てモノローグによって構成される恋愛詩であるという点にある。つまり、全てが語り手の頭の中の出来事だということである。「君」への重い想いを歌う膨大な数の楽曲がありながら、「君」がどういうものなのかは糢糊としたままである。そしてそれこそが私たちを患わせる「強大な妄想と虚像のミルフィーユ」そのものなのである。愛する君、全てって想ってるから、全てで居て欲しい君、君という概念以外の思想はいらない君。ぜんぶ君。 
 でも二人が一つになるのは妄想の中だけ、その幸せな合一体験は言葉では語りえぬ体験で、確かに側にいるんだけど、でも物理的には独りのまんまで。そうした「本来一緒にいるはずの君」が実際には側にいないという離別の苦しみの詩の美しさこそが、私がぜん君。に深く共感し、傾倒することになった原因である。そして、その極致にある楽曲がキミ君シンドロームXという楽曲なのである。
 あたしと君。患いとぜん君。そしてキミと君。2人だけ。

私たちはどこかで出会ったのだろうか
ひとりぼっちのまま、だっただろうか

Ch. 2 罪と罰

 キミと君は違う。キミ君シンドロームXの主題はそこにある。見ていると胸の奥がぐりぐり痛み苦しくなったり、奪い去りたいと空想したり、泣きたくても苦しくても離れなかったりする「君」。そしてその「君」は「あたし知らない!」のである。
 具体的な人物としての「君」と「あたし」の距離は、30メートル。
 君の世界にあたし…

妄想!
閉じ込めて(逃げて)鍵閉めて
確かめて(消えて)消えないで
此処に居てせめて(揺らめいて)
あたし見て(見てて)諦めて…
切なくてちにたくて でも君に居て欲しくて
泣きたくて苦しくても離れなくて

キミ君シンドロームX/ぜんぶ君のせいだ。

 この妄想の中、勝手に「誰も入れない2人だけ…」になったのは、ぜんぶ「キミ」のせいだ。だった。「キミ」とは2人だけでいるのに、「君」はあたしを知らない。
 どうして?
 私たち患い一人一人の心の中にも、きっとそれぞれたった一人の「君」がいることだろう。私たちがぜん君。LIVEの中でそれぞれの「君」を投影する中で、様々な重い想いが去来するだろう。そしてこのキミ君シンドロームXのクライマックスに至って、「君」はもういないんだということを身体感覚として叩きつけられる。これは私がぜん君。LIVEで最も神秘を感じるシーンであり、現代の悲劇において比類のないカタルシスがある。Super Sawが鳴らす葦笛の悲しみの音色である。
 キミの世界にあたし…

Ch. 3 「いるよー!!」

 でも本当はわかってるもう全部…
 LIVEにおいて、キミの世界にあたし…「いないんだよね?」の問いに対して「いるよ」の返答がなされるが、「あたし」がいる世界は「キミ」の世界であって、「君」はあたしを知らないままである。
 「キミ」がいることによって「あたし」は独りになる。ぜん君。の世界に患いはいるし、患いの世界にぜん君。はいる。でも君の世界に私はいない。それを突きつけられ涙を流す私たち。ぜん君。はそんな私たち患いの側に寄り添って、いっしょに独りでいてくれる。

私たちの時計は止まったままだったかも

Ch. 4 閉じ込めて(逃げて)鍵閉めて

 キミ君シンドロームXは、2015年にリリースされたぜん君。最古級の楽曲の一つである。しかしながら、MVがリリースされたのは2021年になってからのことである。そしてこのMVがぜん君。を語る上で非常に重大な意味を持ったものなのである。
 このMVは二つのシーンに分けることができる。一つは制服を着ているシーン、もう一つは衣装を着ているシーンである。この二つのシーンは実は同一の時間軸ではなく、異なる世界線を表していると考えられる。そして、この世界線の変化こそが、ぜんぶ君のせいだ。というグループの本質的な転換を表しているという点が極めて重要な論点である。
 世界線という点でいうと無題合唱、独唱無題に加えて星歴13夜のNarcolepsyが同一の世界線の詞であるということは作詞を務めたGESSHI類さんも明言しており(EsEgo、コドモメンタルBOOKS, 2021)、その世界線がぜんぶ君のせいだ。の軸となっていた世界線と考えていいだろう。キミ君シンドロームXのMVには制服のシーンがあるが、他のぜん君。のMVで制服を着ているものといえば無題合唱である。したがって、キミ君シンドロームにおける制服のシーンは無題、Narcolepsyと同じ世界線の映像であると考えることができるだろう。そしてMVにおいて制服姿の愛海さんが2015年当時のキミ君のジャケットの楽曲を聴いていることから、ぜん君。始まって以来の世界線はこちらの世界線が継続されていたと見ることもできるだろう。
 キミ君シンドロームXのMVにおける制服のシーンで、ぜん君。のメンバーは、ぜん君。に加入した時期が同じメンバーどうしでしか一緒に映っていない。具体的には、愛海さん、おやつは一人きり、かさね、ふふ、ねちの三人、メイこては二人である。この世界線では、七人が一緒に映ることはたった一瞬でしかない。

もし私たちが、      を選べなかったら
君は今頃どこで何してた?

Ch. 5 此処に居てせめて(揺らめいて)

 一方で、衣装を着ている方の場面では常に七人が一緒にいる。これはひとりぼっちのままではなかった世界線を表していると言える。つまり無題の世界線とは異なる世界線ということである。では。ぜん君。始まって以来の世界線がどこで転換したのかという話になるが、端的にいえばインソムニアからである。無題の世界線はNarcolepsyと同じと述べたが、Narcolepsyつまり居眠り病と対比されるのは不眠症、つまりインソムニアであるからだ。このことから、2020年秋の新体制以降、ぜんぶ君のせいだ。は明確に異なる世界線に移行したと考えられる。そしてその二つの世界線の移行を描き出しているのがキミ君シンドロームXのMVなのである。
 無題ーNarcolepsy世界線がどのようなものかは、後の記事で詳述するが、明日をつかめず、いつまでも君を想い、時計が止まったままで、「記憶手繰っても曖昧」な状態を繰り返していた世界から、「独り歩く」中で「何年経っても褪せない」世界へと変わったのである。これは、つまりこの前者、無題ーNarcolepsyの世界が制服のシーンだったのに対して、インソムニアの世界線が衣装のシーンであるといえる。これは前者のシーンでは巻き戻しが行われていることからも説明できるだろう。時計は止まったままだったかもしれない世界線から、時計が動き続けている世界線に移行したのだ。

キミの世界にあたし…いないんだよね?

Ch.6 びょーきなの キミのせいだ。だよ

 インソムニア以来ぜん君。の世界線は変わった。明らかに変わった。時計は不可逆的に動き始めたのである。
 この体制になってリリースした最新録アルバムがQ.E.Dであり、誕生からこれまで続いてきた世界線の大団円を示唆している。また、唯君論. のピリオドにもこれで最後という想いが込められているという。こうして新しい境地に突き進んでいくぜん君。その旧世界線にピリオドをつけ、ひとりぼっちのまま、だった世界の最後を飾る作品こそが、キミ君シンドロームXのMVなのである。
 七人で歩んでいく。キミと歩んでいく。愛する君へ。届かない?例えそうだとも永遠まで
 これからも常にアヴァンギャルド、最前線に堕ちるぜん君。我ら患いはどこまでもついていく。その新たな転換と未来への決意の道標となる楽曲、私たち患いをひとりぼっちにせず連れて行ってくれる楽曲。それがキミ君シンドロームXである。

 びょーきなのぜんぶ君のせいだ。だよ。

 。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?