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空っぽが見上げた目には水たまり

Poem.1 

「ぜんぶ君のせいだ。」
つぶやいた一言は雑踏に消えて
最後にくれた音と言葉を思い、なぞった。
ビルの間隙、貫いた青
手を伸ばすのは僕がいない景色。
空っぽの空が染めあげる
足元の水たまり
歪んで映った青写真
踏みしめて一人立ち尽くす
いつかの僕へ

Poem.2


明日をつかみ損ねた私は、伊豆諸島に旅することにしました。
母のように優しく温暖な内海に育てられた私にとって、太平洋の荒波に拒絶されるという体験は、あまりに衝撃的なものでありました。
しかしながら、その暴力はまた、私に神的な体験を与えもしました。
木の葉のような私の船を鍋にかけるように海水はたちまち沸騰し、真っ白な塩を顔面に叩きつけてきました。
その微細で粗い水の運動の只中で、幾つもの火山島が海中より湧き出だす様をみました。
帳が迫る頃、折しもの荒天の向こうに夕焼けを見ました。
日光を忘れた黒潮と、一切を拒絶する曇天の間に夕焼けの帯を見ました。
その帯がだんだんと狭められていく様を小さな船の甲板に一人で。
最後に水平線に真っ赤なリボンが伸び、陸塊を結ぶのを見ました。
どうして。
俺は一人で生きなければならないのに。
どうして。
私が降り立つ地面にはあなたの小指が繋がれたまま。
どうして。
私の明日は、真っ赤なリボンに繋がれたまま。

Essay. どうして

開く自己陶酔
五月雨藍の扉を
悲しみ閉じ込めてる
残響木霊して

MONSTER/ぜんぶ君のせいだ。

 
私がぜんぶ君のせいだ。(以下「ぜん君。」)というアーティストと出会ってから2年強が経ちました。ぜん君。7年の歴史の中ではごく最近のことと言えるかもしれません。しかしながら、我が人生の約一割の時間は彼女たちと共にあったという事実があり、彼女たちの音楽と言葉とが私に大きな影響を与えたということは言うまでもありません。そこで、私とぜん君。さんとの日々が血の通ったものであるうちに、その生きた精神を書き残す必要を感じたため、今ここで筆をとることとしました。気持ちを回顧の形にはしたくなかったからです。そして、それをmonologueに終わらせることもまた耐え難いことでした。monologueをdialogueにしてくれたみんなへ、日記ではなくここに書かせていただきます。
 客観的に見れば、私とぜん君。さんとの関係は単にファンとアイドルの関係にすぎないでしょう。しかしながら、私の中で彼女たちとの関係はそのようなものに留まらず、信徒と導師、弟子と師匠、友人と友人、詩人と詩人、いろいろな関係の中に位置付けられるものでした。このように患いさんたちの数だけそれぞれのかけがえのない関係があったであろうことは、患いの皆さんなら理解していただけることであろうと思います。私は、そのような関係を純粋に経済上の運動の一つと捉えることができない程にはナイーヴな精神の持ち主でありました。ゆえに、今ここにその記録を自伝的に記したいと思い至ったのです。
 このnoteでは、LIVEや楽曲などの感想、自分とぜん君。さんについてのエッセイの「史的唯君論概論Ⅰ」と、楽曲や歌詞の考察の「ぜん君。古今歌詞仮名序。」の二種類の記事を書いていこうかなと思っています。基本的に全て私の感想であり、ソースが示されていない文は全て私の妄想と考えてもらって構いません。いろいろ言っていただけるとありがたいです。そんな感じでやっていくのでよろしくお願いいたします。

ぼくはぼくがわからなくて
胸の奥がソワソワして
これが何を意味するかを教えてくれ。

MONSTER/ぜんぶ君のせいだ。


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