【再公開します】大切な約束と私の願いと

秋もめっきり深くなってきて、仕事も勉強もどんどん忙しくなってくる中で、様々な出会いがあり、少しずつ自分の中で引っかかってた当時の気持ちを振り返るようになりました。

簡単に私のプロフィールを伝えると

・児童発達・放課後デイで正社員として児童指導員として子どもの療育をしながら、家族支援をしながら働く。

・個人契約で家庭教師を続けている。

・いくつかの会社でライターの仕事をしている。

・大学院(休学中だけど)に通って家族の支援について学んでいる。

・CforCっていうNPOで市民性について、子どもについて学んだり、子ども発達支援研究会をはじめいくつかの研修を受けながら勉強している。

こんなことをしている人で…。普通の人だったらめげちゃうと思うんだけど、教え子曰く、私は「体力お化け」らしいので、1つ1つから学びを得ながら前に進んでいいます。

目次

  1. ①子どもの成長に私こそ支えられていた。

  2. ②【回想】ある女の子との出会いと別れ

  3. ③「家族が幸せでいることが当事者の幸せにつながる」

  4. ④場所はどこであっても思いは同じ

①子どもの成長に私こそ支えられていた。

私は今まで個別指導塾や家庭教師を通して、だいたい累計20人以上の子どもと関わってきました。その中には不登校や発達障害、それ以外にも様々な生きづらさを抱えた子ども達と関わり私自身も一緒に成長してきました。

中には不登校だったのに、

・学校に行き、生き生きと過ごしている子

・「自分なんて生きていてもしょうがない」と言っていたのに、関わるうちに夢を見つけ現在も社会人として働いている子

自身が不登校の経験があるため、不登校の子のもやもやした感情は想像することはできると思っています。また学習機会が担保されていないことによる、不安感を感じる子もいるかなとも感じます。

もちろん、不登校でも独学で学校に進学はできますが、私自身はその経験がとてもしんどかったと感じています。私は不登校の間中、勉強して高校に滑り込みはしましたが、とても苦労はしました。

だからこそ、子ども達の「好き」、「おもしろい」にと思えるような教材を作り、指導しながら子ども達に「できた」、「嬉しい」という経験を通して、次のステップへの橋渡しができればと考えてきました。

それでも、子どもが「こうしたい」「○○したい」という気持ちを大切にしながら支援し、精一杯向き合ってきたつもりでもやっぱり後悔の残るケースの子はやっぱりいます。

その中でも私が一番忘れられない子がある女の子のケースです。

これからこの手紙と、その時の思いを書いていこうと思います。

②【回想】ある女の子との出会いと別れ

今から振り返ると、子どもに関わる仕事がしたいと思ったのも、「障がい」や「家族」にまつわる仕事がしたいと思ったのもこの出来事がきっかけです。

私は大学生の当初個別指導塾で塾講師をしていました。私が塾講師をしていた際に出会ったその女の子を「自分の力不足で彼女の願いを叶えることが出来なかった…」と感じています。

彼女は私と出会った当初は高校3年生でした。中学からのいじめがきっかけで人との関わりが怖いと感じている子で、学校にもあまり行きづらい子でした。発達障害もあり、中学生からの学習遅滞もあり、「私は勉強が出来ないし、将来どの学校にも自分は行けないから、生きていても仕方ない…」という言葉が口癖でした。

とても感受性が強く優しい性格で、笑った時の笑顔がとっても優しいことが印象に残っています。
私自身が不登校経験もあり、何とか「彼女の力になりたい」という思いがありました。日々の授業の中で「できた」、「楽しい」という経験を通して、彼女にとって塾が楽しいと思えるようにサポートしました。それだけでなく、彼女が学校でも少しでも気持ちが安心できるようにと、彼女が好きなアイドルの写真をはり、彼女がしんどくなった時に、元気になれるようなメッセージとともに載せたオリジナルの本を作り、彼女が少しでも気持ちが楽になれるようなサポートをしました。
彼女が好きなラジオは毎週聞き、授業がはじまる前の雑談で話せるように準備しました。

日々彼女と関わっていく中で徐々に彼女が笑顔を見せてくれること、学校でのつらい経験や将来の夢を話してくれるようになりました。彼女本人から自分が悩んだからこそ、同じように悩んでいる人の力になりたいと願い、精神保健福祉士を目指し専門学校に行きたいと伝えてくれる場面もあり、「学校に行きたくない、もう何もしたくない…。」と伝えてくれた入塾当初に比べ、彼女は本当に大きくなったなとまぶしい気持ちで見ていました。

しかし、そんな幸せな時間は長くは続きませんでした…。
彼女の父が精神障害を持っていて、時折彼女に手をあげていることが分かってきました。また病院にも「うちにはお金がないんだから行かせないぞ」といわれ、風邪のまま塾に来たこともありました。
そして、私が彼女に会った最後の日となる授業日、彼女は父がお酒を飲んで暴れた際に、根性焼きを手に押し付けられたと教えてくれました。
彼女なりに、「自分がいなくなったら、妹を守る人がいなくなる」と伝えてくれたり、自分が受験が控える中、将来の夢を考えたら、今は我慢しないと学費を払ってもらえないから学校に行けない…。と涙ながらに話してくれたことを今でも覚えています。

彼女の苦しみに今まで気づけきれていなかったことを謝罪し、彼女の力になりたいと心から願っていること、自分に伝えてくれたことを本当に嬉しい気持ちでいること、何よりつらい気持ちを伝えてもいいと思ってもらえたことが私も本当に嬉しいということを伝えました。

彼女は最後は笑顔を見せてくれました。先生に話してよかったと伝えてくれ、その後塾に来ることはありませんでした。

もしかしたら、塾の教室長にその日の出来事をその子の安全を願い、伝えてしまったことが、彼女の中で「先生は他の人に言ってしまう人なんだ」という不信感につながったのではないか…。彼女に対していち塾講師である私は何も出来なかったという無力感がいまでも残っています。

彼女の今の幸せとこれからの幸せを考えたとき、私はあの時どうすればよかったのだろう…。と今でも折に触れ考えることがありますが、答えは今でも分からず、そんな自分がふがいないなと感じます。

③「家族が幸せでいることが当事者の幸せにつながる」

私は彼女との関わりを振り返るうちに、彼女だけでなく彼女の父にまで思いが及びました。精神障害を持つ彼女の父は、きっと日常の中でもやもやした感情を持ちながら、それを言葉にうまくできず暴力という形で表現していたのではないか?と感じています。
暴力を受けていた彼女、暴力を受けている彼女を見ていた妹、そんな不穏な状態の中で過ごす母。

精神障害を持つ家族は障がいを持つ当事者の言動等に傷つく場合があります。そんな中で家族の構成員の気持ちが落ち込んでしまうと、余計に家族の構成員の気持ちが鬱々としてしまい、みんながつらくなってしまうのかもしれないと感じました。

障がいを持つ当事者はもちろんのこと家族の気持ちにも寄り添うことで、障がいを持つ当事者の気持ちが安らぐ可能性があります。
また障がいを持つ当事者が医療や福祉の施設とつながることで、「障がい」の症状によって、自分自身や周りの人が苦しいのかもしれないと気づくことが出来ます。そのため、「自分自身というよりは、自分の一部となっている『障がい』という部分」によって苦しかったのかもしれないと感じ、腑に落ちる感覚が生まれたり少し気持ちが落ち着く可能性があります。

治療や障がいを持つ人自身の傷が癒されケアされることを通して、障がいを持つ人の出来ることが増えていき、少しずつ自信を持つことが出来るかもしれません。そんな当事者の変容を見て、家族の一人一人も希望を持てるのかもしれないと感じます。

自分が家族支援をしたいと思った理由もここにあります。

④場所はどこであっても思いは同じ

私は現在会社をやめ、大学院を中退し、東京の会社に転職&社会福祉士や精神保健福祉士の資格を取るために通信制の大学に編入予定です。

自分がどこかで無理をしている(時間的や忙しさではない)なと内省をしている時に気が付いたからです。

彼女の願いを叶えられなった。彼女の幸せに貢献できなかったのではないか…。

ずっとその後悔があり、それでも「先生みたいな人にカウンセラーになってほしい」と願ってくれた彼女の願い。

もう会えなくても、出会ってしまったからこそ、彼女の願いを叶えたいと思い、私は(経済的な理由もあり)働きながら臨床心理士になるべく、夜間大学院に通うことを決めました。彼女のような子の力になりたいと願い、障害児が通う施設で職員として働いてきました。

でも、働く中でも大学院に通う中でも、それこそ違和感を感じることが多くありました。

※違和感についてはまた別記事で書きます。

彼女の本当の願いは何だったんだろう…。

私の願いは本当は何だったんだろう…。

考えるうちに、必ずしも「カウンセラーにこだわる必要はないのではないか」と考えるようになりました。

また自分自身が働く中で、困難を抱える人に対して、必要な支援をつなぐことや、当事者や家族が元気なれるようにエンパワーするような支援に興味が出てきたのです。

そのため、現在子どもと福祉のテーマの勉強をしていたり、これから社会福祉士や精神保健福祉士の資格をとるために通信制の大学にまずは行きたいと考えるようになりました。

※2重学籍になっちゃうし、大学院は中退しようと考えました。

違和感の中でたくさん傷ついて、悩んで、それでも必死に考えた答えが、「彼女のように悩みを抱える人のそばにいたいし、力になりたい」と案外シンプルな答えでした。

CforCという研修で聞いた、「心でこたえることでたとえ間違ったとしても優しい答えになる」という言葉の意味が、自分の中のこれからを考えた時の答えを出す過程でなんとなく「こんなことなのかもしれないな…。」と感じました。

今年もあと3か月。その間に、様々な変化が起きそうです。

自分にとって何が大切なのか、大切な人が何を願っているのか考えながら決めていきます。

※自分で変化を起こすのですが 笑

穏やかに、柔らかく生きながら、自分が関わる人のことを大切にしながら、1歩1歩歩んでいきたいなと感じました。


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つばき
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