もう一つの世界にもう一人の自分 ーあのときこうしていれば選手権ー

あのときこうしていればな~を何分も妄想しているときがあります。

開催

寝る前になると「あのときこうしちゃったな~」って思うのは全人類共通認識です。そして、それがこの選手権への挑戦権です。
大きなあのときこうしていればな~、だけでなく「あのときこういう風に言ってたら笑い取れてたな」や「こう言った方が角が立たなくてよかったな」という小さなあのときこうしていればもあります。
これを深めたい。そう思います。

妄想時間を減らす

この妄想に気を取られていると意外と時間が超早く過ぎていることがあります。「あの時」を考えている間に「そういえばこんなこともあったな」が芋づる式に出適してしまい最終的には全く関係のない着点にいることもあります。そして、この妄想時間のせいでどんどん自分の時間が奪われて行ってます。何かをしているときもこの妄想が行われると全く集中できません。
これはいったいどうしたものか。何とかこの妄想時間というやつを減らしてやりたいです。
まず、そのためには決まったルーティーンが必要なのでは、と思います。
やっぱりこの妄想時間が不規則的なものでそれを抑え込もうとしているからこそ逆にあふれてしまうことが問題であると。そのためにはもう「この時間はとにかくに何もせず妄想とかする時間」を作った方がいいのではないかと思います。正直こういう文章を書くこともこの「妄想時間」の一つに入っている(書く前に何を書こうか決める時間も含まれているので)。だから、そうした時間を決めて形にする作業をすることで自分の本来の時間も減らしすぎず、妄想時間をより実りのあるものにできるのではないかと、思います。

虚無感だけを生む反省 ×

虚無感だけを生む反省はやめましょう。あの時こうしておけば→それをできないってなんでだろう→やっぱ私って駄目だ~
このサイクルは終わりです。人間の自己肯定感がどんどん失われていくと思われます。反省をしてしまう、あの時こうしておけばを思ってしまう時間が増えてしまうなら、反省らしく「じゃあ次はこうしよう」を考えるべきなのではないかと思うわけですな。
そのためには、こうした虚無感を生みやすい遠い過去の出来事の失敗を振り返る反省からではなく、日常の「今日やらかしたこと」の反省点とそれを活かす方法を感がる練習をしていくべきだと思います。僕は、書いたりすることが一番良いと思っていて書くという行為は自分の頭の霧を晴らしてくような作業になりうると思うので、それをたくさん行っていくことで本当に大きな反省、大きな「あの時こうしておけばよかったな」に対応できるようになっていくのではないのでしょうか。
ただもちろんあまりにも大きすぎる「あの時こうしておけばな」はあります。故人に関することや失恋の話が一番わかりやすいと思います。(僕はほとんど経験したことがないので感覚で書きます。)
どういう風に反省しても次に活かすことができないものがあります。それはもはや失敗ではなく、普通の経験ではないかと思います。
自分が失敗したと思っていることは実はただの経験や通過点に過ぎず、ほとんどの人間がその「失敗のようなもの」を経験しているのであればその失敗こそが基準点である可能性があります。だから、もし次に活かしようがない失敗と対面してしまったときは「実はこれってみんな一緒で失敗ではないのでは?ただの通過点・経験に過ぎないのでは?」と考えてみることも少し有効かもしれません。

もう一つの世界

あのときこうしていればな~を何分も妄想しているともはや「もう一つの自分、もう一つの世界」が出来上がってしまうような気がしています。というかもはや出来かかっています。
そのもう一つの世界では自分だけが大きく変わり、周りは従来の世界と変わっていないので「もしかしたら今の自分にも同じことができるんじゃないか」と錯覚することがありますが、全然そんなことはないです。もう一つの世界に決定的に足りないものは他人です。結局自分の中の世界なので真に他人はいないです。僕たちの世界ではあのときこうしておけば、の一番の要因となりうるのは恥ずかしがっていることだと思います。「恥ずかしがってしまったからこういうことを言えなかった、できなかった」ということはよくあることです。そして恥というのは他人が居るから起こりうることです。
つまりは他人に対しての恥を薄めることができればこのもう一つの世界に近づくことができるはずです。
恥を薄めるためにはどうしたらよいのか。これは人間が死ぬまで抱えていく問題だと思いますが、僕が意識していることは「狂人」というキャラになることです。変にいい人間を気取るのではなくコメディアンになってしまえばいいのです。「自分そんな面白コト言えないです」という人もいると思いますが、それは訓練が足りてないだけです。他人の人間の会話に心の中だけでよいので自分なりに会話を盛り上げるようなことを言ったり、ネット上での会話や動画に対して「俺ならこう言うけどな、そっちの方が面白いでしょ」を考え続けるという訓練をすることが狂人への第一歩です。
そして、狂人になってしまえば恥を感じるようなことをしてしまっても周りはある程度笑ってくれます。人にいい意味で笑われるというのはやっぱり気持ちがいいですよね。「こいつ笑わせてやったぞ!」という幸福感が心の中に来ます。そうすれば自分の中にある他人への恥も少しづつ薄れ、よりあのときこうしていればが少なかったもう一つの世界に近づくことができると思います。

閉会

色々書きましたが、あの時こうしていればをなくすのはほぼ無理です。
でもそこから何かを学んだり、それを減らす努力をすることが、人間にできる最大の努力なのではないかと思います。そしてその中で得たものを発表したり共有していくことも人間の醍醐味だと感じます。 終わり

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