はじめてのおそうしき
葬式行ってきた
数日前に葬式に行ってきました。祖父の葬式でした。
祖父とは一年に二、三度会うくらいですぐに寝てしまうような人でしたので特段仲が良いというわけではなかったです。
人生始めていく(記憶の中では)葬式だったの色々思ったことを書こうと思います。
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最初の感想としては人間が死ぬということがいまいちよくわからなかったです。生活に存在している人でもなかったので明日から居ないと思ってもうまく想像できなかったです。
もうひとつ思ったことは人間は幻のような存在だということです。
僕が強く関わらなかったということもあるのですが、どんなことを話したりしたのかもうあまり覚えていないのです。正直最初から居なかったのではないのかとも思ってしまいました。
僕も死んだらそうなっていくのでしょうか。誰かの幻のような存在に成ってしまうのでしょうか。ちょっと面白いですね。居たのか居なかったのかあいまいな存在に成るというのは生きている間では絶対にないことですからそういう神秘的な存在に成ることができるのかもしれません。ただ、それは僕が強く関わらなかったからであって近しい人や祖母は祖父のことを幻だとは思ってないと思います。ではどのように感じているのだろうか、と葬式中に考えていました。火葬前には泣いている人もいたので思い入れの深い人物だったのだろうなということは想像に容易いです。自分に近い、生活の中に存在している人だったからこそ明日から居ないというのが想像しにくい、想像したくないという風に感じたのだと思います。自分もその気持ちはさすがに分かります。では、なぜ自分は特別強い感情を抱かなかったのでしょうか。
感動が自分中心
それは、僕の感動が自分中心になってきているからだと思います。映画や漫画の登場人物がどれだけ自分に近い境遇、思いであるのかということで感動を測ってしまっているのだと思います。共感から生まれる感動というやつを正しい感動としてしまっているのかもしれません。死ぬということや自分の生活から居なくなるというのは僕の境遇からかなり外れていることなので上手く想像できず、感動できなかったのかもしれません。
でも、このようなことは自分自身でもよくないなと感じました。
自分の気持ちを中心に考えているということですからもっと他人の気持ちを中心に考えていくことも怠るべきではないと感じました。そうしないと、本当に大切な時に人を気遣うことができなくなってしまうと考えたからです。
葬式屋
葬式屋ってあの仕事をしていて感情がなくならないのでしょうか。人の骨をほぼ毎日見る仕事なんて自分ではできないです。
いくら仕事と割り切っていてもなかなか厳しいものがあると思います。そこに仕事をする人間の厳かさというか、覚悟を感じたような気がします 終わり