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【セカンドブライド】第32話 カエルさんの会社での勤務初日

お正月の挨拶をした3日後、カエルさんの会社である鈴木商店へ初めて出勤した。車で30分ほどの距離にあるその社屋へは、カエルさんに連れられて何回か訪れたことはあった。でも、従業員さんがいる時間に行くのは初めてだった。

鈴木商店は、小学校の校門の様にガラガラと引いて開けるタイプの門扉があり、敷地内に入るとすぐのところに自動販売機が設置されていた。その先に100メートル四方の敷地がコンクリートで舗装されていて、そこがトラック用の駐車場として使われていた。その駐車場の奥に配送用荷物を一時保管するための大きな倉庫と車への積荷場が、そして、くの字型に並んだ建物の右手に小ぶりな事務所棟が建っていた。

朝9時前に会社に着いて、事務棟の裏手にある従業員用の駐車場に車を停めた。従業員用の駐車場だけは舗装されておらず、下には砂利が敷いてあった。従業員さんは10名ほどで全員が車出勤だったが、皆は既に出勤しており、車が駐車してあった。だから、空いている場所に駐車した。

従業員さんは、事務員のアオイさんを除いて、全員がドライバーさんだった。積み荷を前日に済ませ、家から配達先に直接行く人もいるにはいたが、盗難等に遭った場合、ドライバー個人がその積み荷を保障することになっているそうで、よほどのことが無い限りはみな、朝、会社で荷物を積み込んでから配送先に向かった。ドライバーさん達の朝は早い。9時には、もう事務所には誰も残ってはいなかった。

車を降りると、カエルさんが事務所棟から出てくるのが見えた。
「お疲れ様です。よろしくお願いします。」と言うと、
カエルさんも微笑んで、「ぱるちゃん、これからよろしくね。」と言った。

カエルさんが私の先に立ち、ガラスの上に白い文字で「鈴木商店」と書かれた扉を開けて事務所棟に入る。私も後からついて入った。
玄関にはすのこが敷かれていて、左手に木製のオープンな備え付けの靴箱が設置され、ドライバーさん達のつっかけやスリッパが並んで収納されていた。そして、上がり框の所に、150センチ幅くらいの受付カウンターが置かれていた。

カエルさんは靴を脱いで事務所に上がり、そのカウンターに左手を置きながら身を乗り出す様にして奥に向かって声を大きくして言った。
「アオイさん、今日から家の嫁さん、ここで働かせてもらうから。仕事教えてやって。」

私の所からはアオイさんの姿は見えなかった。玄関先に出ても来なかった。少し、間があって、怒気を孕んだ声が聞こえた。
「は??え??はい。分かった。じゃ私は辞める方向ってことね!」
一瞬にしてその場の雰囲気が固まった。気まずそうにも、怒っている様にも見える顔になってカエルさんが言った。
「ん。とりあえずよろしく。」
そして、私の方を振り返って言った。
「ぱるちゃん、スリッパ、今日は来客用のを履いて。明日からは、しまむらとかで好きなの買って来な。」
「はい。分かりました。」
「じゃ、オレ配達あるから行くね。」
そう言って、カエルさんはそそくさと事務所を出て行った。

想像はしていた。アオイさんにも、おそらくは他の従業員さんにも、私がここで働くことは伝わっていないと言うことを。だから「やっぱりそうだったか。」と思う一方で、正直「やりにくいな。」とも感じ、憂鬱な気持ちになった。カエルさんは社長である以上、従業員みんなにとって安心安全の職場作りのための配慮をするのは必要なことだと感じた。「段取りが悪いな。」と勝手に小さなため息が出た。「やれやれ。」と疲れた気持ちになった。
でも、私はカエルさんを「助けるためにここにいるんだ」と思い直し、自分を奮い立たせた。

スリッパに履き替えて、小さな声で「お邪魔します。」と言って事務所に上がる。そしてカウンター沿って2,3歩歩くと事務所の中を見渡すことが出来た。

事務所には4人一組で向い合わせになっているデスクが20席分、5つの島に分かれて置かれていた。その内の4つの島の机の上には、デスクトップも置かれていなかったし、ノートパソコン用のコンセントだとかLANケーブルも見当たらなかった。新卒からエンジニアとして働いて来た私にとって、パソコンで作業することが想定されていないデスクは新鮮だった。オフィスの中がやけにスッキリして見えた。

少し奥まったところにある1つの島の2席だけに、デスクトップが一台とノートパソコンが一台設置されていた。そのデスクトップのモニターに向かって、アオイさんが座っていた。

ストレートのロングヘアに、二重のぱっちりした目で、可愛らしい感じの人だった。指にはゴムの指サックをしていた。まだ、衝撃を受け止めている所なのか、モニターを見てはいるものの、何も作業はしていない様に見えた。
私の方をみない様にしている感じだった。

「こんにちは。今日からお世話になります。ハルナです。」としっかり顔を見て挨拶した。
「こんにちは。アオイです。」とちらりとだけ私を見て、アオイさんも名乗った。

そのまま沈黙が続いたので、私は持参した私物のノートパソコンを、セッティングした。教わった仕事をマニュアルに残そうと思ったからだった。ノートパソコンをセッティングしながら思った。

アオイさんにとって、突然私が来たことで、「自分が仕事を失う」ことへの恐怖があるのかも知れないし、そもそも元嫁の妹が、後妻に会うと言うシチュエーション自体も珍しいことなので、困惑しているのかも知れなかった。

お義母さんやカエルさんは、アオイさんに辞めて欲しくて私にここで働く様に言ったのだと思うし、私もその役割は理解はしている。

でも、今、目の前のこのアオイさんの立場で考え、気持ちを想像してみたら、
「元嫁の妹」だからここで働くことになり、
「元嫁の妹」だからここを追われることになる訳で、
自分の「意志」とは関係の無い事情に翻弄されている彼女が可哀想になり、何だか急に切ない様な気持ちになった。

そして、私自身の「意志」とは関係無く、リストラの「憎まれ役」を押し付けられたことを、嫌だと感じている自分にも気付いてしまった。

「アオイさん、ゆっくり、ゆーーっくり行きましょう。
 急いで仕事、教えてくれなくて良いです。二人でやりたいです。
 何も急ぐことはない。ゆっくり行きましょうよ。」
何かを深く考えて言った訳では無い。思わず口をついてその言葉が出て来た。アオイさんにそんなに急いで辞めてもらわなくて良かった。
とにかく私は今すぐ追い出す気持ちが無いことを伝えたかった。

アオイさんが驚いた様に真っ直ぐ私の顔を見て言った。
「ハルナちゃん、めっちゃいい子だな。
 なんだ。本当、めっちゃいい子だな。」
そういって、ニカっとした笑顔で笑った。

「なんだ。アオイさんも良い人じゃん。」
彼女と、仲良くなれそうな予感がした。



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