小さな承認欲求が、思いもよらない方向に加速する怖さ
先日、とあるツイートがバズりました。
たかが8957いいね。されど8957いいね。
私たち夫婦の日常は、3日かけてドンドンと広がり、767回のRTと大量のコメントが届いた。通知は鳴り止まないとはまさにこのことである。
このツイート、実はある程度の反応は取れると見込んでいた。
その考察と実際に仕込んだ3つのトリックは、
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この目論見はまんまと当たったが、いかんせん、思った以上の効果を発揮してしまった。
ほとんどがマクドで勉強を頑張るママさんや夫、そして私への好意的なコメントだったが、中にはここでも「通りすがりに小石を投げる」ようなコメントも届いた。
いわゆるクソリプというものだが、これがじわじわ効いてくる。
最初は嬉しく見させてもらっていたコメント欄の中に小石がチョロチョロと混じっているたびに、胃がキュッとした。
相いれない人はいる。140文字で全てを伝えられるわけじゃない。
一定層石を投げるのが趣味な人たちがいることも、心得てきたはずだ。
それでも、10の温かいコメントの中の、たった1つの小石が気になり、途中からコメント欄を全て見ないようにしてしまった。
温かいコメントをたくさん頂いたのに、お返事ができずに大変申し訳ないと思っている。
そして、自分の言葉が私の手を離れ、ものすごい勢いで転がっていく現実に、軽く怖さを覚えた。
自分の発した言葉が、全く違う意図で解釈される。
そこから数日は、なんだか謎の倦怠感の中で過ごした。
ツイートもnoteも更新できず、この気持ちの変化は何なのかと考えて過ごしていた。
でも今回、わかったことがある。
バズを一つの影響力とするならば、その恐怖は経験した者にしかわからない。このうまく言葉にできない感覚を、共有できる人は貴重であり、発信者としての通過儀礼を、確実に一つ登った気がする。
あの日を境に、私の発信は確実に語り口が変わっている。
1つ1つのツイートが誤解なく伝わるように、最新の注意を払っている。
ある程度の反論も事前に予想をつけているし、予想外の小石に傷つくことも今のところ、ない。
事前にバズをしかけた時は「これはいける」とノリノリだったが、経験すると急に大人びた感想になってしまって我ながら面白い。
よかったら同じテーマで全く違う切り口で書いたこちらの記事、バズツイートのための3つのコツも合わせてお楽しみ下さい。
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さぁ、今日も良い一日を。