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被災地支援のメンバーシップでなにを目指していくのか③

parubooksの佐古田です。南砺市は朝晩の気温もかなり低くなってきて、山並みが急に赤黄色に染まってきました。ただ今年はいつになくダラダラと暖かい日が続いているからか、全国の「紅葉の名所」と言われるところでも色づきはよくないようです。先日は沖縄でも季節外れの豪雨が降るなど、平穏無事に生きていくことのハードルが上がっていると感じます。

前回の記事では、私が生まれ育った京都で体験したコミュニティについて書きました。今回から、私が2012年に富山県南砺市へ移住するきっかけになったアニメ作品と、そのファンコミュニティのお話をしたいと思います。

私が就職してしばらく経った2000年代半ば頃から、深夜時間帯のテレビ放送でアニメ作品を目にする機会が増えました。俗に「深夜アニメ」と呼ばれ、毎週30分の物語を1クール(3ヶ月)~2クール(6ヶ月)の間で連続放送するフォーマット。日中のテレビ放送では見られない、個性的なオリジナル作品や、ライトノベル原作などの作品がたくさん放送されていました。
※今では配信サービスも加わり、その時とは比べものにならない本数のアニメ作品が世に出ています。

アニメは昔から好きで、高校時代『新世紀エヴァンゲリオン』に熱狂したものの、就職して以降は鉄道の旅にハマったこともあり、アニメからは距離を置いていました。ただ、JRの全路線完乗を果たしたタイミングで結婚し、土日のたびに旅行で家を空ける生活ではなくなったので、「気軽に旅を続けられるテーマが欲しい」と思ったのが、ちょうど深夜アニメ隆盛のタイミングでした。2006年に放送された京都アニメーション(以下、京アニ)制作のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』は、京アニの本社が当時住んでいたマンションからバイクで10分の距離だったので、クオリティ共々興味をひかれました。当時人気だったmixiで調べてみると、どうも舞台モデルの多くが兵庫県西宮市らしい、とわかり、休みになると阪急電車や阪神電車でアニメに登場した場所を訪れたりしていました。

今や国民的な人気をほこるアニメーション監督の新海誠さんが、精力的に短編や中編を発表されていた時期とも重なりました。2004年の映画『雲のむこう、約束の場所』では、青森県のJR津軽線末端区間を走るディーゼルカーが登場。2007年の映画『秒速5センチメートル』では、種子島や東京都内の風景が、若者たちの切ないラブストーリーと一体となって描かれました。全て人間の手で生み出されるアニメ作品が、実在する場所や時間軸と紐付ける形で創り出されることに、次第に面白さを覚えていきました。

種子島は寒さに震えながら、港で借りたスーパーカブで一周しました
先日廃線が発表された津軽線末端区間の終着駅・三厩。終着駅感がすごかったです

そんな中、2007年秋に10年間勤めた職場を退職し、京都市内の印刷会社で営業の仕事を始めました。前の職場を離れるためになんとなく就いた仕事は、いざやってみると発注元と社内スタッフ・外注スタッフとの板挟みになり、毎日朝から晩まで営業車で走り回るキツい仕事でした。残業時間も以前とは比較にならないほど増え、夜遅く帰ってきて録画したアニメを観たり、SNSをやる時間くらいしかなくなっていました。以前は全国を自由に旅行できていた反動で、精神的にとても辛い時期でした。

転職翌年の2008年1月、『true tears』という一本のアニメ作品が放送され始めました。放送からほどなく、「舞台モデルは富山らしい」という情報がネットで広まり始め、放送が進むたびに現地へ足を運ぶ熱心なファンもいたそうです。物語の展開も先が読めず、ネット掲示板では論争も巻き起こっていたとか。実は放送されていることを知らず、リアルタイムで追っていなかった作品なので、これらは後で人から聞いた内容です。私は ↓ のネットニュースをたまたま読んだことをきっかけに作品のことを知りました。

とてもセンセーショナルな見出しだったので記憶に残りました(注:事実とは違っていたそうで記事の下部に訂正が入っています)。今だとSNSで切り取られて炎上しかねない事例ですが、当時はネットニュースをキュレーションしコメントと共に紹介する個人サイトや、ニュースの内容に対しきっちり感想を書く個人ブログなどが多くあり、一定のリテラシーが保たれていた記憶があります。そのサイトからの発信で、『true tears』を制作したのは富山県南砺市のピーエーワークスで、4月からの富山県内での放送開始を記念して、南砺市城端のお祭り会場でパネル展が開催されることを知りました。

当時、東名阪以外の地域のテレビ局で深夜アニメが放送されるのは珍しいことでした

「城端線の城端駅が会場最寄り」と書いてあり、行きたい衝動にかられましたが、この時点でもまだ『true tears』を観たことがありませんでした。さすがにマズいだろうと思って、発売されたばかりのDVD第1巻をポチって第1話を観ました。それまで観てきたアニメとは何か違う雰囲気を画面から感じる作品で続きが気になりましたが、当時は配信サービスなども無く、見逃した作品はDVDを買うか、レンタルDVDを借りるしか観る方法がありませんでした。とりあえず会期中で行けそうな土日に旅程を設定。祭りの様子は富山在住のアマチュアカメラマン、inoue1024さんがまとめていますのでリンクをご覧ください。
※inoue1024さんにはparubooksで先日出版した、書籍「受け継がれたローカル線~富山・石川・福井 北陸三県鉄道賛歌~」の写真撮影をお願いしました。

京都から南砺市城端までは、当時北陸本線を走っていた特急「サンダーバード」と城端線を乗り継いで4時間以上かかりましたが、まだ北陸新幹線の開業前で、高岡駅で一度乗り換えるだけで行けました。今は敦賀でも乗り換えが発生し、せっかく新幹線が開業したのに所要時間は以前とほとんど変わりません。関西はすっかり遠くなってしまいました。そんなことはともかく、列車に揺られ降り立った4月中旬の城端駅は、すっかり暖かくなった京都とは違って肌寒く、駅から見えるそびえ立つような山並みには雪が残っていました。

城端の古刹・善徳寺前の通り

東京から遠いので、人出はどうなのかなと思っていたパネル展の会場はファンでいっぱい。そのファンの中には今でも交流のある人たちが何人もいたのですが、それについてはまた後日触れたいと思います。会場の軒先で焼かれていた、本編にも登場する「あいちゃん焼き」という名の今川焼きを買おうとしたら、「ごめんね1時間待ちやわ」と整理券を渡されました。関西弁とよく似た話し方だなあと思いつつ、せっかく来たので整理券を受け取って城端の街を散策することにしました。劇中で登場した大きなお寺、落ち着いた街並みなど、作品の雰囲気そのままで驚くと同時に、街に流れる時間のゆるやかさに心惹かれました。京都に戻るとまたとげとげしい日常が待つ状況だったので、城端駅から帰りの列車に乗るときも「また来たいなあ」と感じさせてくれる場所でした。

今川焼きは冷凍とかではなくちゃんと一個ずつ焼いておられました

それまでもアニメ作品の舞台モデルになった場所は訪れていましたが、地域の方がそのことを知らなかったり、ファンにお金ばかり使わせようとする地域もあるなど、いろいろでした。城端はそれらの地域とは違って、訪れた人たちがファンとして楽しめる仕掛けをしつつ、押しつけすぎずいい塩梅で過ごさせてくれる場所だと、パネル展で訪れて感じました。それは後に、城端にピーエーワークスがあるからだとわかるのですが、それについてはまた次回。

次回は城端を再訪した時や、2009年7月に城端で開催されたイベントについてお話ししたいと思います。いよいよコミュニティについて踏みこんでいきます。

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