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家族はある意味、【無形資産】

毎日書くはずのnote…書きたいことはたくさんあるけれど、なかなかまとめるのに時間がかかっていて、結局とびとびの更新ですが、まあアップしてるだけいっか!と自分に甘い私^^ 
いま、ちょっと1人でゆっくりする時間が持てているのも、日本にいる家族が助けてくれているから。そこで思ったのは家族はある意味、【無形資産】という考え。

なぜか分からないけど、そこにいて、生まれた時から大事な人

家族って本当に不思議。いつの間にか近くにいて、いつも大切に思ってくれる、大事な存在。一説には、胎児として宿る前に、自分で親を選んでくるとかそういう話もあるし、前世で繋がりが深かったとか、諸説あるけれど、実際はどれが本当かわからないし、調べる術もない。でも、事実として親は子を産み育てるという命の連鎖は約20年前のホモ・サピエンスの時代から現代まで、自然と続いている。
自分が子供だった時は、親なんてただ口うるさい存在だったけれど、年齢を重ねるにつれて、ありがたみしか感じない。スーパー中流家庭で、父はサラリーマン、母は専業主婦で、よくある家族すぎて、普通すぎて、物足りなかった。早く家から出たかったけど、なんだかんだ、24歳くらいまで実家にいた。
24歳で実家を出て、彼氏と暮らし始めたけど、1年くらいで上手くいかなくなり、実家に戻った。その時も荷物の搬出を何も言わず、手伝ってくれた。勝手に飛び出したけど、出戻ったことを喜んでくれた。
そこからまたしばらくして、今度は1人暮らしで家を出たけど、その時も快く引っ越しを手伝ってくれた。1人で暮らす家の掃除も手伝ってくれた。一人暮らしをするようになってから、両親の結婚記念日は3人の兄弟も集まって外食してお祝いするようになった。
なぜか、30歳までに結婚しないといけないと思いこんでいたのに、29歳で付き合っていたひとにフラれた。毎日の飲み会、合コンでは結婚相手は見つからなかった。そこで、30歳でワーホリに行くことにした。その時も心配しながらも応援してくれて、気持ちよく送り出してくれた。カナダ滞在中も毎年会いにきてくれた。
カナダでの生活も思い描いていたようなものではなく、ただただ毎日がすぎていた。34歳で妊娠し、そのまま帰国することに。(この時、カナダで産んでおけばよかった!と後悔する時もある)勝手に海外にいき、結婚もせず、突然妊娠したのに、その時も「早く帰っておいで」と優しく受け入れてくれた。妊娠期間中も、検診のための病院の送り迎え、毎日の食事にも気をつけてくれて、孫の誕生を楽しみにしてくれていた。
出産後は言わずもがな、すべてにおいて助けてもらった。実家にいなかったら、乳児を育てられなかったかもしれない。シングルマザーなので、仕事も生後半年で復帰したので、その後も保育園への送迎や、イベントなど、都度たすけてもらった。
息子は生まれてから実家にいるので、そこは自分の家だと思っている。自分の家なので、母親と離れても平気で、こうしていまバラバラの生活が送れている。
ここまでのたくさんの協力は、数値化できない。ただ家族で、そこに私がいて、ただ私が持っている荷物を分かち合ってくれるような、ただただ、無償で助けてくれる家族の存在。もうこれは無形資産と言わずになんと言う??本当に感謝しかないし、もっと親孝行したい。介護なんて、まっぴらごめん!と思っていたけれど、最近は私が見てもいいなと思うようになった。(他の兄弟は結婚してるしね。)まだ60代だけど、もうそろそろ何があってもおかしくない年代でもあるし、残された時間は限られているから、出来るだけ会いに行って、一緒の時間を過ごしたいなと思う。


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