6/24 海獣の子供
海獣の子供を見に行ったのは2019/6/18だったらしい。
自分のTwitterにそう書いてあった。
確か新宿で、一人で、夏休みはまだ来ていなかったはずなのに。
映画館にあまり行けていない2020年上半期のことを思いつつ
(今年何見たか思い出そうとしたけど、
1月3日とかのレイトショーで王国に初入国したくらいだった)
2019年に見た映画で好きだ、とおもったものを挙げるとするなら
「新聞記者」と「海獣の子供」かなぁ。と
そんで、より「好き」なのはやっぱり海ですから。
ネタバレをするにも細かいことの記憶がないので、
持ってた印象を、つらつらと並べ立てる。
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1.海への畏れ
勝てない存在でしょう?海って。
でっかくて、人間が把握しきれていなくて、
把握できたとしても、コントロールなんてきっと不可能だし
人間は海をコントロールしようと思えないんじゃないだろうか
2.鯨の唄
「祭」のようなものが起こる。
その大きさによって海から離れられない鯨、
陸の存在には聞こえない唄で何かが伝えられていく
関与できないことへの無力感
3.光ることと生きること
見て欲しいから光る。
だから見る。見つける。
海の中の物凄い数の光が「祭」に集まる。
「光」は生きているもので、
生きているものは光っている。
これでも、海の中のものだけ。
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・わからなかった。という心への残り方
ストーリー、は、わからなかった。というのが正直なところ。
生きているもの。変えられないこと。人間が関われないこと。という
大きすぎる力についての表現が、すごく、強く、なされていた、のだと思う。
見終わった後の私は、新宿の東口までの真っ直ぐな道で、
すれ違う人たち、後ろから歩いてくる人たち全部から
物凄い力の波を感じた。
全部の目が私を全部を見ているような。
一つ一つの「生きているもの」の形がはっきりするような見え方をした。
怖いくらいに溢れる「生きているもの」のちからだった。
その力はどこに隠れているわけでもないのに。
人間は、社会の中で、他の「生きている」という光を
見えなくする行動、能力を発動しているのかもしれない。
でも、あの力ぜんぶを常に感じて受け止めるのは、すごく疲れるから。
せめて出会った人の光はむぎゅってしたいと、
それが小さくてよわすぎる人間のちょうど良い精一杯かなと思う。
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海獣の子供を見て江ノ島水族館に行きたくなって、
遊んで、楽しかったなぁ。
しみじみ。
今年の夏は、なにをしようか!わたし!
うぱし