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Photo by
atelierminori
《りんぽん》正しさのジャッジ
りんぽんです。
今日はひな祭り🎎
ちらし寿司を作ろうと思います。
私の健やかな成長と健康を願って💕🤭
今日のお題 #受け入れ難い ◯◯ 🤔
先日こんな話を聞きました。
「ぜんそくになって、咳き込んだせいか肋骨にヒビが入って動けなかったの」
と話すので
「咳でヒビって入るの?」
と私が驚くと
かかりつけで風邪と言われて様子を見ていたけれど、悪化していく一方で、セカンドオピニオンに行って、薬を変えたら快方に向かったというのです。
そして、かかりつけにそれを伝えると "風邪です" と一点張りで聞き入れてもらえなくて散々だったと言うのです。
「治ってよかったね」
と私が言うと
「認めないって酷くない?」
その言葉を聞いた時、私はちょっと言葉につまりました。
心の中で
『正しさのジャッジ』をしている自分を教えてもらったと思いました。
これは私の思いなのですが、相手にどう言われたら満足するかも自分の正しさのジャッジのだと思うのです。
ジャッジされる側も、正しさのジャッジで防御体勢になるのかなと。
なぜ、こんな風に感じたのかというと、私は今まで正しさのジャッジで
がんじがらめ
だったからなのです。
途中経過のプロセスはあったけれど
「治ってよかったね」
が全てなのかなと感じました。
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