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《まなみこ》忘れられない!強烈に記憶に残っている言葉🍃


こんなにたくさん音楽を聴いてきて、
それなりに本を読んできていても
、


【強烈に】という括りをつけられると、非常ッ〜〜に選び難い。(笑)


なので今日は、結構な感じで長い間 “根に持っていた” 言葉をひとつ☝️


それは前回のブログ「先祖」で書いた、
好きじゃなかった方のばあちゃんからの言葉。笑


ーー『あの子は、何も教えられてきていない子だから』



これを、人伝いに聞かされた。(と、いっても親戚のおじちゃんだけど)


高校を卒業して、東京の専門学校へ単身行くことに決めた私は

東京に住んでいる叔母の近くに小さなアパートの一室を用意してもらい

お世話になることになった。




叔母の夫は、内装?とか、工事?とか??
いわゆる『親方』と呼ばれるような
仕事をしていて、人の面倒見が大好物ですみたいな熱いおじさんだった🔥


でも、沖縄から離れて暮らす東京の親戚なんて、
それまでほぼほぼ関わりのなかった私にとって他人も同然ぐらいの温度感で

そういう紹介のされ方をして、

世話を頼まれていたなんてことを後で聞かされた時




・・・・マジでムカついた。


小4で両親が離婚してから、父子家庭で育ってきたわたし。


父は、父のお堅い家族の中で
「ちょっと困った長男」みたいなキャラクターだったので
“そんな父の娘” だから・・というレッテルを貼り付けられてるみたいな
嫌な感じがした。

そしてこれが、そこからずーっと私の人生にまとわりつくようになった。




イヤ、本当は元々貼ってあった・・・と思う。


そして貼った犯人は何を隠そう「わたし」だ。


でも、その時はまだ、うっすらとモヤのかかっていたものが、


ばあちゃんの、その言葉によって、

超強力な耐水性ステッカーの如くベッシャーーーーーーーン!!!!
と貼りついた。


【やっぱり私って普通の家庭の子とは違うんだ💀】

人として、そして何故だか特に『女性』として
備わるべきだったものが
私には欠落してるんだ・・とガッツリここで思い込んだ。



そしてそれは
『母のもとで育てば良かった、父のもとに残った選択が失敗だったんだ』


と、いう思いを日に日に強くしていく増強剤のような働きをしていった。




それでも無事に、わたしも子供を産んで親になれた。(離婚したけど😂)


随分と時間が掛かったけれど
あの言葉は、私がひとり新しい土地で困らないように
『心配してくれていた』だけの言葉だったと分かった。


それにしても、言葉足らずすぎやしねぇかばあちゃん?って感じだけれど


でも!
この人生のおかげで、
この葛藤のおかげで、
この思い込みのおかげで、
ミロスに出会ったことが何よりの大成功だった。


全部は、今ここに来る為の道筋だった。


しかもアレだけ「母のもとで暮らす選択をしなかった自分」を悔やみ、

やるせない思いに駆られていたのに




蓋を開ければ、母もまた同じような葛藤で
必死に頑張って生きてきていた人だった。



父子家庭だろうが母子家庭だろうが、両親揃っていようが・・


母が少なめも、父が強めも、無い。


どうやらいつだって父も母も『同じだけ』私の中にあったみたい。笑☺️



🎦今日のおすすめ動画🥰👍わたしの材料は父と母でやんす🌷//


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