全体は完璧。なのに部分は…?
GTOです。
「全体は完璧である」これは言われていることです。
昼があって夜がある。全体として完璧。
満ち潮があって引き潮がある。全体は完璧。
発酵があって腐敗がある。これも完璧。
この世界は完璧。
しかし、もし、どちらかに偏っていたら、おかしなことになる。。
例えば
地球全体の夜の総量よりも、昼の総量がもしが多ければ、地球の温度はきっと少しずつ上がっていくだろう。。すると何億年も経つと地球は暑すぎて生命体は生きてゆけなくなってしまう…だとするなら、これは全く完璧ではない。
恒常性が保たれていることが完璧だ!
また、
昼が好きだ!!
夜は嫌いだ!!
と強烈に熱望したとしても…
昼だけの世界を生きることは出来ない。夜は必ずやって来る。
どちらかを好んでも自由だが、それについての努力は完全に無力。何も変えることは出来ない。
全体の完璧さに手を加えることは不可能です。
発酵しているものは腐敗しない。発酵が止まると腐敗(分解)する。それは次の生命体などの材料となる過程。これもまさに完璧。
実際に発酵が永久に続くものがわずかでもあったら完璧ではない。実際何億年も永久に発酵し続けているものなど聞いたことがない。そんなものがあったら地球はおかしなことになってしまうだろう。
発酵と腐敗で完璧になっている
発酵が良い
腐敗は悪い
という考え方はかなりあると思いますが
「発酵だけ」を希望しても、発酵し続けることはどんなに努力しても無理。必ず最後は腐敗(分解)する。この完璧さを崩すことは不可能。
全体は完璧。
つまり私たちの生きているこの世界全体は完璧ということ。
どこをみても完璧しか存在していない。
でも私達の見る世界は、不完全に見える。問題山積みに見える。不思議だと思いませんか?
では全体にたいして「部分」とは?
それが私達の「思考」
発酵が良くて腐敗が悪いというのは頭の中にしか存在しない。
それは全体の完璧さに逆らって、腐敗を問題児にする。そして腐敗を撲滅しようと躍起になる。
しかし全体からみると、それこそが問題児だ。思考という部分は問題しか生み出さない。部分は不完全で問題の創造者だ。
これが私達の「問題児としての日常」なのだから、実に驚く限りです。
全体の完璧さで生きることのみが、次の時代の入り口です。
本日もお読みくださりありがとうございます。
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