時間の融解
いきなり数年ぶりの投稿する気まぐれな自分・・・も、自分らしいと言い訳としつつ、最近思っていることを。
コロナウィルスによる自粛生活も1ヶ月以上経ち、以前に増して時間の使い方、価値観などが大きく変わってきていると感じる。
今までは、通勤に往復3時間かけていたが、今はゼロ。本当に主婦にはありがたい話だ。オンオフの切り替えがうまくいかない、なんて話も聞くが、私はあまり感じていない。ギリギリまで、家事やらなんやらに追われているからかもしれない。
リモートワークに伴い、オンライン会議は増えたものの、それ以外に話しかけられるとすれば、チャットが主体。主導権が自分にある(返事できるときにする)という意味では、直接会話とは、全く違うものだ。
曜日の感覚も、ルーティンの会議があるため、掴んでいるものの、何曜日だっけ?なんてことも多くなってきた。(ただの耄碌か?!)
家族といる時間も多く、仕事中にちょっとした会話もするが、仕事の仲間との会話とは、質感が違う。会議中に、子供から「ママ〜、なんか刺さった〜!」だの、旦那と「お昼は何作る?」だの、遠くから視線を感じたら、猫だっただの笑
今まで、仕事してる時、お母さんな時、友人と話してる時、なんて、シーンによって分けていたのかもしれない時間が、融解されて。バナナジュースのつもりだったけど、ちょっとオレンジが入ってきたり、いちごが突入してきたり、急にかしこまったはちみつが投入されたりして、いつの間にか、ミックスジュースじゃん!っていう笑
そして、このミックスジュース感が、「自分らしさ」となのかも、という気がしている。
決して、サボっている訳ではなく。それぞれに一生懸命ですよ。でも、生活感のある横槍(仕事後の、仕事案件という横槍も然り)ひっくるめて、生きていくという時間の主体が変化していると感じるのは私だけなのかな?「〇〇部の自分」「〇〇ちゃんのお母さん」「〇〇の嫁」が、自分が〇〇している、に変化していっている。
それぞれの自分らしさの生活が育てる小さな芽が、新しい時代の常識になることを思うと、ちょっとワクワクする自分がいることは否めない。