安倍晋三氏はなぜあそこまで怨嗟を呼び起こさなければならなかったのだろう?
安倍晋三氏が撃たれたという凶報は、NHKでほぼオンタイムで見ていた。その映像は生々しく、女性記者が震える声でデスクに指示を仰ぐ電話や、心臓マッサージをする姿も映し出されて、首相官邸に戻った岸田文雄総理が真っ赤に腫らした目でコメントをしているのを見ても、現実事だと理解るのにはしばらく時間がかかった。
個人的に、安倍氏の政治信条には首肯しかねる部分は多々あったし、言動に「どうよ」と感じることもあったけれど、全体として政治家としての力量や、国際社会における日本の立ち位置は「こうだ」という定見がある人だと思っていたし、育ちの良さから来るであろう憎めないところがあるな、と感じていた。
それだけに、なぜ彼と反対する立場の人が、あそこまで「安倍晋三」個人を邪神扱いして、忌み嫌っていたのか。まるで世界のダメな部分が全て安倍氏のせいであるかのような運動を繰り広げていたのか、「よくわからない」というのが正直なところだった。
例えば自分は就職氷河期世代なので、派遣社員の要件を大幅に緩和した一方で解雇規制などの雇用流動化に手をつけなかった竹中平蔵氏には思うところがある(一方で当時の情勢として仕方がなかった面もあると認識している)。小泉純一郎氏は「劇場型政治」と揶揄されることもあった。麻生太郎氏は舌禍がわかりやすい(それぞれ、それが人としての魅力にもなっているのだろう)。改憲論にしたって、安倍氏というよりも自民党の党是だと見るべきだろう。
彼らではなく、なぜ安倍氏がヘイトを向ける矛先になったのか。
言うまでもなく、安倍氏は岸信介→安倍晋太郎の系譜を継ぐ「正統派」の政治家一族の出身で、「保守本流」と見なされている。しかし、例えば「アベノミクス」で実施された日銀の量的緩和など前例がない金融政策で、「保守」という価値観とは本来は相容れない。第一次政権の当時にしても、「戦後レジームからの脱却」を謳っており、人材と産業のグローバル化を促進する方策を選んでいる。ほかにも、彼自身の「ナショナリスト」というイメージとはどうにもそぐわない政策はいくつも見いだせる。
となると、やはり「美しい国」というフレーズに、自身のみならず周囲の目も引き寄せられた、という見方をするのが妥当なようにも思える。
個人的には日本の風景は「美しい」と思ってはいるけれど、「美しい国」かと言えばピンとはこないし、「おもてなし」だってそう言って饗すものでもないだろうと考えている。実際、著書『美しい国へ』は平易ではあるけれど具体性に乏しく、第一次政権時に組まれた企画会議は首相の座を継いだ福田康夫氏に「無駄」と切って捨てられている。
ただ、「美しい国」という曖昧模糊な言葉は、それぞれが想像を膨らませやすい代物でもあった。だからこの社会の「美しくない」という点をあげつらうのに便利だったし、個人の事情を社会へと結びつけやすい存在にもなり得た。それが安倍氏を偶像化する対象へと押し上げたのではないだろうか。
また、前述したように安倍氏が担った政権では、必ずしも「保守本流」とはいえない政策も打ち出しており、それが右派の先鋭化を招いたと捉えることもできる。軸足をやや右に取りつつもバランスを重視していなければあそこまでの長期政権を担うことは出来なかっただろう。逆に言えば、どの立場の誰からも「減点」要素があって、それが積みに積み重なって政治や社会への不満が彼に集約されてしまったのではないか、と思えてならない。
まだ心境が整理できていないうちにつらつらと駄文を記してしまったけれど。彼が「良き日本人」であろうとしていたことだけは否定できないだろう。
おつかれさまでした。これまでありがとうございました。どうか安らかに。