「バズを目指さない」のはなぜか? ここ5年のSNSのあり方の変化でネットメディアに何が起きたのか振り返ってみる

 前回、『アフターソーシャルメディア 多すぎる情報といかに付き合うか』の感想を記したのだけど、「この5年でメディアへの意識が大きく変化している」ということについて、特にSNSとの関係について、ネットメディアで売文している身としての実感をメモしておこうと思う。

 まず、2010~2015年の段階だと、どこのメディアもPV/UUに加えて、SNS(Twitter・Facebook)とはてなブックマークのシェア数を指標として使うようになっていった。この頃だと、記事のSNSのシェア数が多ければ、それだけPV/UUも比例するように上がっていた。TwitterのRTやFacebookの「いいね」が多ければ多いほど、「共有されている」=「話題にされている」と素直に見ることができた時代と言ってもいいだろう。

 風向きが変わったのは、2016年にTwitterアプリの「タイムライン」の仕様変更があり、アルゴリズムの導入により時系列で流れる形ではなくなったこと。また、ニュースアプリのプッシュ通知により、「何がなんでも記事を早く出す」ということの重要性が減った。

 『アフターソーシャルメディア』では、ニュースに接触する「リズム」が出来なくなっていることへの論考があったが、7~9時の通勤通学時間帯、12時~13時のお昼時、18時の帰宅前の移動時間、20時以降の「自分時間」という流れはそんなに変化していない。ただし、新型コロナによるテレワークが進んだことにより、これも絶対ではなくなり、「リズム」の共有がますます難しくなっていくということは念頭に入れる必要があるだろう。

 少し話が逸れた。Twitterの「タイムライン」の仕様変更により、RTの数は目に見えて減少した。また、SNSのシェア数の多い記事が、必ずしもPV・UUに結びついていない、というケースも増えた。

 同時期に、芸能関係者やスポーツ選手、テレビ番組や映画のSNS活用が常態化していったのだが、彼らが自身を取り上げた記事をRTあるいは言及すると、当然ながら数は伸びる。が、そこからの流入数はメディア側の立場からすると「さほどではない」というのが実感だ。これはどういうことかと言えば、コンテンツに対するRTや「いいね」ではなく、彼らがシェアしたことに対するRTや「いいね」だということになる。メディア関係者の多くが見誤っているのは「良いコンテンツがシェアされる」のではなく、それは各アカウントへの信用あるいは支持がもたらしているものだということだ。

 特にTwitterだとインフルエンサー=キュレーターにシェアされることが重視された時期があったが、現在ではシェアはそのアカウントへの支持であって、必ずしもコンテンツへの評価ではないということは踏まえるべきだ。

 もっとも、だからと言ってSNSのシェア数を軽視していいわけではなく、より多くのユーザーの「タイムライン」に表示されることそのものに価値を見出すべきだろう。とはいえ、「バズった」ことが「話題になっている」という事とイコールでなくなっているのは事実なので、コンテンツを作る段階からそれを狙うというのは、端的に言ってギャンブルだし、本質から遠ざかる。

 そういった変化について、ネットメディアでお仕事している人間としては当然思うところは山ほどあるけれど、現実として「そういうもの」になっているというのは認めなければいけないし、その中で不特定多数ではなく、「誰か」に「信頼してもらう」ようなメディア作りやコンテンツ作りをしていかなければいけない。

 まぁ泥臭く、手数を増やして戦っていくというのが、遠回りなようで一番の近道ではあるというのが、ひとまずの自分のスタンスだけど、「シェアされる」ことよりも、見えないけれど「だよね」と思ってくれるようなユーザーの方が多いものを出していくということを目指していきたいな、と思う次第です。


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