ステマ特集に言及した2つの心象的な理由

 なんだか眠れなくて、こんなエントリーを書いた。

『週刊ダイヤモンド』ステマ特集について思うこと       http://yaplog.jp/parsleymood/archive/1216

 ぶっちゃけ、切込隊長氏と比べて僕は300枚は劣る木っ端ブロガー&ニュースサイトの中の人で、JIAAの錚々たる会員からしてみれば、黙殺するに足る存在だろう。理論武装的に「消費者庁がヒアリングしてるぞ!」みたいなもの言いは強いし、結果的にノンクレ撲滅の流れはこのままユルく長く、あまりメディア環境の変化もなく、続く可能性が一番高いような気がする。最悪ですね。

 それでも、僕がエントリーを書いた理由は、大きく2つある。

 まずは、松来未祐さんが亡くなったこと。

 彼女は38歳で僕と同世代。療養に入る時には「熱が続き肺炎に」とブログに綴っていた。喘息もちで同じ頃に体調を崩していた自分にとっては他人事ではなく、『ひだまりスケッチ』の吉野屋先生の動画をniconicoでぼんやり見ていたりしていた。気管だと声帯の影響もきついだろうし、心配だなぁと思っていたが、誕生日会を開いたエントリーをアップしていて「大丈夫なのかな」と感じていた。

 同年代や、下の世代のクリエイターが亡くなると、どうして彼らで、僕じゃないんだ、と思ってしまう。何者でもない自分では「死」にも相応しくないのかと。松来さん、これからも結婚ネタで引っ張って、突然入籍して皆で手荒に祝福してあげたかった。ただただ、悔しいなぁ、と思う。

 彼女が亡くなったことは、僕にとってはずっと心の隅に引っかかっていて、「死」っていつやってくるか分からない、と改めて意識することになった。とりあえず後悔するようなことはしたくない。いつ書けなくなるかも分からないとするならば、書けなくなる前に、書けることは書いて、できればそれが誰かに多少なりとも影響を与えることになれば。生きた「証」としては充分なのではないか。そう思いながら、ブログの編集画面を開いて記事を書いていた。

 もうひとつは、いつまでも消えない悔しさが残る記事が、やはり頭から離れないから。

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