残酷な世界を楽しみ続けるたった1つの武器

 正直なところ、ぜんそくもちで、自立神経失調症で、不安障害がある自分が物書きとしてお仕事を続けていくというのは、相当に困難な選択だったりするよな、と日々感じているところなのです。人前ではそういう面を見せないだけの「根性」を維持するには、それ相応の気力が要るし、気力が尽きてまったく動けなくなるという日も年に幾日も存在する。こういう不確定要素がある人間が、現代社会のスピードに適応していくには、相当なハンデがある。

 まぁ、そうはいっても、物書き以外のお仕事をする上でも、心身ともにガタガタの人間を使うというのはリスクだろう。今、政府では40代前後のロスジェネ世代の就業支援にようやく手をつけはじめたが、派遣・バイトなど不安定かつブラックな環境で身体を壊している人は多いだろうし、今後そういう人たちの自立支援には若年無業者に対する問題とは違った困難が伴うはずだ。そういった意味では、曲りなりにも自立して働けている自分は「まだマシ」ということになる。

 話を戻すと。僕も記事を書いて、時にはそれがネガティブな反応を巻き起こして、炎上することも多々あるわけなのですが。基本的に僕の書くものはハイコンテキストで、読む人を選ぶ。書き手と読み手は対等。行間が読めない人間のことは知らない。そういった割り切りが、僕を守ってきた。一方で、僕が出すもので巻き起こす反応を楽しむ余裕。それを持つために、一歩書いたものから自分を退く。それがこの世界を「楽しむ」ことができている所以になっている。

 自分と世界を「客観視」できること。これが残酷で無理ゲーな中で生き抜き楽しむためのただひとつの武器。だから僕は、まだ、PCとカメラを持って戦うことができている。

 

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