木っ端ブロガー・ライターが大切にしていること
もう15年選手の洗濯機ちゃんが、調子悪いと訴えるのをなだめながら、バスタオル類を洗ってもらっています。みなさんごきげんよう。
急にアクセルを入れてお仕事をするのには心許ないので、そろりそろりと執筆量を増やしてだいたい一ヶ月目にラフォーレ原宿のテプラ広告に関して、2本記事を『Yahoo!ニュース個人』に配信した。1本はネット上の情報と、最低限の事実関係を質した段階の2020年1月25日に出した(参照)。2本めは、ラフォーレ原宿、W+K社に対面取材、キングジムへのメール取材と、今回の広告を問題視したモデル・アーティストの酒井いぶきさんの事務所の声明をもとに2020年1月29日に配信した(参照)。ちなみに、J-CASTニュースは酒井さんがツイートをした2020年1月24日の段階で記事を出していて、これが第一報ということになるだろう(参照)。
で、私が出した記事が賛否両論渦巻いた。最初は記事が酒井さん寄りだという疑問。自分の中にそういった意識はなかったが、まぁこれは分からないでもない。が、マーケティング・広告のブログを長年やっていらっしゃって、著書も多数ある高広伯彦さんから、このように批判された。
別に私の「取材姿勢」を批判するのはご自由にという感じだったのだけれど、「裏取りはしてたよ!」と言ったら「大事なのは表取り」と覆すし、そもそもヤフトピに載ったのはJ-CASTの記事の方(自分の記事はリンクが張られただけ・参照)だけだし、自分の記事が出て2時間程度でラフォーレとW+K社が謝罪出した原因に祭り上げられているし(そんな短時間で出せるなんて不可能だと広告関係者なら理解できるのでは??)、事実誤認だらけでコメントする気にもならなかった。最初は「放っておいてもいいかな~」と思っていたけれど、知人が巻き込まれる事態になっていたので、リプはぜんぶ自分が引き受けるために、事実ベースのことのツイートは投稿しておいた。なので、新しく事態が進展することがない限りは、これ以上本件について言及するつもりはない。
で、まぁいろいろなリプを頂いていて、大抵は自分の「お仕事への姿勢」だったり、「検証が薄い」といったことだったりで、具体性が何もなく、なおかつ記事自体に対する言及はほぼなかった感想レベルのものだったので、とくにコメントすることがなかったのだけれど、『「フェイクニュース」とか「ファクトチェック」とか言っている人は、「覆られたらどうするの?」って思っている』という自分のツイートに対する以下のリプだけには反論しておこうと思う。
いやいや、事実ベースで書いて、「個人的には~と思われる」という主観だと断った上で見解を出した記事さえも、読み手が気に入らないと「フェイクニュース」呼ばわりされる世界線で我々が生きているというのは、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ氏でもうみんなよ~くわかっているよね? ……ということを多少のエスプリきかせてみたんですが、そう考えるのが「業界にとって害悪」ねぇ……。
「フェイクニュース」というのは、主にアメリカ大統領選の際にさまざまな誤情報がネット上で発信され、それがSNSで拡散されたことにより、「政治」に影響を与えるようになって、レガシーメディアがその脅威にフォーカスし出したというのが、大きな文脈なのだが、今では自分に都合の悪い記事のレッテル貼りとして機能してしまって、言葉の意味さえも変質してしまっている。だからこそ、新聞系のメディアでは「ファクトチェック」という言葉を使っているのだが、その内容はというと「関係者からの否定」を事実として扱う、そしてそれが「確からしい」と判断して出す、というものだ。
この「確からしい判断」というものは、覆される可能性は低くないだろう、というのが基本的な私のスタンスだ。「今現在の情報」としては間違っていないが、結果としてそれとは異なった、もっと言えば「誤り」と断じた側に近い方向で物事が進むというのはあり得る。そもそも、「誰かの見解を聞く」というのは、それが公的でも私的でも相手側の「主観」や「都合のいい発信」であるということは、伝える側ならば踏まえておくべきだろう。つまり、読み手以上に発信側は「事実」の「認定」ということがセンシティブだと知った上で出す必要があると思っている。そして、最近いろいろなメディアがやっている「ファクトチェック」は、そういった意識の有無について、個人的には若干の疑義を感じざるをえない。だから、自分が出す記事について「ファクトチェック」という言葉は絶対に使わないだろう。もっというと、「ファクトチェック」という言葉は、「フェイクニュース」と同じく乱発されて精度が下がったものがどんどん出され陳腐化する未来が遠くないと思っている。
高広さんについては、そのマーケティングや広告の知見について私淑させて頂いていただけに、そのような方でも恣意的な気持ち(義憤みたいなものだと邪推している)で事実誤認のツイートをやらかすと知れたのは、今回の収穫の一つだった。そして、発信側だからこそ、読む側の「空気」や「感覚」というものを失くしてはいけない、という自分のスタンスもより大切にしていきたいという思いが強固になった。なので、この場を借りてリプを頂いたすべての方々に感謝したい。
ありがとうございました。