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「一回休み」の勇気をもつ難しさ

 何人かのひとに「2017年の抱負は?」と聞かれて、適当に答えているものの、どれも本心で信じきれておらず、未だに今年の目標を定められないまま、新年も2週間を過ぎようとしている。

 昨年は「過度の無理をせず、健康に留意しつつ売文屋として生き残る」が目標だった。だが、結局のところ長く体調を崩すということはなかったけれど、ちょこちょこと仕事が出来ない日が続くことがあって、人様に迷惑をかけてしまうことが一度とならずあって申し訳なかった。定収入があるわけではない以上、どうしても月の達成金額というものはあるし、それに満たないと判断すればお仕事を受けざるをえなくて、それが積み重なって動けなくなる……という悪循環を断ち切ることができなかった、という反省がある。

 このお仕事をしていると、日々のニュースにしろ、読者や音楽や映画にしろ、それがそのままアウトプットに直結する。それをこれまでは楽しめていたのだけれど、一方で去年後半に「成果」を求められる状況になって、自分の思い通りのものを書くことができなくなった。存外このダメージは大きくて、「僕も潮時なのかもしれない」と弱気の虫が鳴くことが多くなった。

 おそらく、ここで「一回休み」と割り切って、日々ぼーっとする時間を作る、というのが最適解だということはわかっている。でも、収入が保証されているわけでもなく預金通帳が潤沢でもないことを考えると、そうも言ってられないな、と思ってしまう。それでも「休む」という勇気を持つことの何と難しいことか。

 満身創痍になることは慣れている。しかし、新陳代謝が衰えて、情報感度が鈍って、何かをやらかすかもしれないといった恐怖もある中、この先戦っていけるのか、ちょっと自信を失っているということも確かだったりする。

 それでも、僕の出す記事を読んで、実際に一歩行動をしている人がいたりする以上は、気張って出し尽くすしかない。それが僕がこれまでなしてきたことへの罪と罰なのだと改めて思う新年なのだった。

 遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

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