晩夏にかんがえ、ふりかえる。
うだるような暑さの日々が続いていた8月をなんとか乗り越えたのはいいものの、天候のせいかなんとなく気分が沈みがちになったので、背に幾何学模様をプリントしたTシャツとスカートを着て近所を散歩してきた。いつの間にかにセミの鳴き声は聞こえなくなったけれど、公園では子どもたちがはしゃいで遊んでいて、湿った風が頬をなでることが感じられて、どんな状況になったとしても、簡単に世界は変わらないしその中でもがいで行くんだ、という気持ちにさせられた。
思えば、去年の今頃はお仕事をするどころではなく、失声症から徐々に回復していたものの、家から出ることもままならなかった。そう考えれば、月50本程度書けるところまで戻ることができたのは、我ながらミラクルと言っていいんじゃないか、とも感じている。やっぱり、一日三食ちゃんと食べて、夜ちゃんと眠るというのは大事。18歳で新聞奨学生をはじめてから、そういった生活に無縁だっただけに、余計に実感を強くした。売文業をやっていると、なかなかそういったサイクルが作りにくいのだけど、これからもできるだけ崩さずにやっていきたいな~。
ところで、安倍晋三総理の辞意を受けて、こんな記事を書いた。
自分の家庭は朝日新聞の読者だったし、基本的に表現の自由は守られるべきだと考えているし、選択的夫婦別姓に賛成だし、性的マイノリティの権利が認められる方向に進むべきだと考えているし、国際強調による平和維持に基づいた自由貿易に賛成という立場からすると、私的な意識は「リベラリスト」なのだけど、他者からはどうもそう見られてないっぽい。この「ズレ」は、ネットで発信している身としては非常にめんどくさい。で、そういう状況を安倍政権下で作ったのは野党とメディアなのではないか、というのがこの記事を出した理由だった。
個人的には、TPPに関する著作権保護期間が50年から70年に延長されることに関して、自分も取材をして記事も積極的に出したつもりだし、他のネットメディアも同様の問題意識を持っていたように感じる。だが、やはり「世論」にはなり得なかったな、という苦い評価をせざるを得ない。例えばアートや演劇畑の人たちにもっと取材をすればよかったとか、いろいろと反省点があったりもするし、「やるか、やらないか」では後者を選んでしまったという事も多々ある。この記事では、「権力」を批判的に見るのもいいけれど、その前に誰もが自省も必要なのではないか、というメッセージも行間に込めたつもりだ。
もうひとつ。一昨年に体調を明らかに変調をきたした理由として、自分のお仕事やメディアを巡る環境、そして「好きだったもの」に「ピンとこなくなった」ということがあった。何かを変えたいのだけど変え方が分からない。そういう中でもがいてみたけれど、それが想像以上にしんどかったということがある。
この「ピンとこない」という感覚は、何気ないけれど大事で、特にメンタルヘルスのサインになっていたわけだし、何らかの「ズレ」や「歪み」に敏感になっているということでもあったのだと、今なら理解できる。
なので、この2月から本格的にお仕事に戻ってから、急になにかを「変えよう」とするのではなく、毎日出す記事にちょっとずつ「チャレンジ」をした部分を入れるように心がけてきた。その「チャレンジ」の部分を明かすのは野暮だと思うので明かさないけれど、少しの変化をつけることによって、「あ~うまくいかなかった!」とか「今回は成功と言ってもいいかな」とか、数字が見れるウェブメディアの中の人ならではの一喜一憂ができるというのは、割と恵まれている。
また「ズレ」というのは、藤代裕之先生が主導して出した『アフターソーシャルメディア』にも、西田亮介先生の『コロナ危機の社会学』でも出てきた言葉だ。
おそらく、多くの人が不安に感じたり、今の社会に不満を感じたりするのは、この「ズレ」が原因のように感じられるし、自分の場合はそれが心身に影響した。とはいえ、簡単にそれが埋められるわけでもない。「ズレ」と向き合いつつ、「ズレ」を埋めるような記事を出していくことが、自分のためにも社会の一員としての役割を果たすことにもなればいいな、ということを考えながら、一歩ずつ焦らず進んでいこう。9月のはじめ。昼間の散歩で、そんなことをとりとめもなく思ったので、ここにメモしておくことにした。
明日はもうちょっと、お仕事の出力が上がりますように!