メディアで働く上で数字だけを「勝ち負け」判定にするのは良くないという話
ちょっと旧聞になるけれど、ノンフィクションライターの石戸諭氏がこんな記事を寄稿していたので、個人的に思うところをメモしておきたい。
東浩紀氏の『ゲンロン』には、一時期イベントなどに参加したりしてもいたけれど、何となく足が遠のいた。一言でいうならば、彼らの「サロン」がホモソーシャルな学閥のオルタナティブに過ぎないように思えて、自分のような浅学の身が入る余地がないように思えたからだ。そして、その後の『ゲンロン』の軌跡は、20代の頃に哲学者としての東氏に衝撃を覚えた身としてはいたたまれなかった。なので、『ゲンロン戦記』もKindle版を買ったはいいものの、まだ手つかずでいる。
著者の石戸氏は、毎日新聞在籍時に西田亮介先生とSNS分析に基づいたデータジャーナリズムの取り組みを試みていて、「数字から導き出せる論考」の先鞭をつける仕事をなさっていた。が、その後の『BuzzFeed』では伝統的な新聞のキャンペーン的な記事を出していて拍子抜けしたものだ(それでも広島の慰霊碑の記事などには感銘を受けたけれど)。とはいえ、彼が「やりたかったこと」はそっちだったということで、百田尚樹氏の研究本などで成功もされている。なので、「競争に負けて良かった」というのは本心からの言葉だと思う。
私の場合は、2004年からブログをやっていたので、石戸氏のような牧歌的なインターネットへの憧れを抱かずに済んだ、という側面があるだろう。実際、自分のブログはせいぜい月に数千PV程度の吹けば飛ぶような存在だった。それでも、エントリーに目を留めて寄稿依頼を受けるようになって、副業としてライターをはじめることができたし、リーマンショックの煽りで会社都合退職を余儀なくされた後にライター・編集としてなんとか食べていくことができた。
ところで、前のnoteで「取材した記事ほど数字にならない」ということを書いた。
石戸氏は、ネットで「良質なニュースを伝えられる」と考えていたと告白している。そして、彼も続けて述べているように「新聞社以上に旧態依然としたメディアの世界」という側面は確かにあると思う。ただ、それは新聞や雑誌といった既存メディアから流れてきた人たちの考え方のように感じられる。2000年代以前からネットで活動している人たちは、もっと淡々と、肩の力を抜いて「それなりに」メディアのお仕事をしている。個人的にそれが「ぬるい」と感じることも多々ある。
肩の力を入れようが入れまいが、確実な「ものさし」になっているのがPV/UUなり、SNSでのシェア数だ。無料メディアでは広告に収入を依存している以上、絶対に無視はできないし、それが「正しい」。個人的には後世に時代の「空気感」を伝えるという意味合いもあるように思う。
ただ、石戸氏が述べるように「たまに数百万PV、だいたい数万から数十万PVの記事を月に何本か書いたところで、原稿料ベースでの収益はたかが知れている」というのも事実だ。自分の場合、いろいろなメディアで出した記事の年間総PV数が追えるだけで1億を超えた年がいくつかあったが、それで自分自身が超稼げたということはないし、書き手としての価値はむしろ下がったと思うこともあった。それも心身を壊す一つの原因にもなった。
一方で、私は石戸氏のように「狭い業界に理解者がいないことを嘆くのではなく、自分は自分で、地道に書いていけばいい」と割り切ることができない。仮にUUが100以下だろうが100万単位だろうが、そこには1UU=ひとりの読者がいる。狭いコミュニティーの中で知られていることを、外側の誰かに投げるということは、なかなか実感が伴わないので心が折れそうになることも多々あるけれど、「届いた!」という感触が得られた時の達成感は何物にも代えがたいものだ。そして、そういった反応は見逃しがちなだけで案外随所に転がっているものでもある。
前述したことをちゃぶ台返しするようではあるけれど、一人の書き手の立場ならば、PV/UUを「まったく気にしない」という選択もできる。アクセスやシェア数を出せるものは出すとして、自分の書きたいものは書いたり取材したりする。その数字が振るわなくても落ち込まない。よく考えてみれば、仮に100PV/UUだとしても、小中学校の全学年数に匹敵する数字だ。「それってスゴくない!?」と思う方が健全にやっていける。仮に上役から企画がシブられた時は適当にブログなりnoteなりで出せばいいんだし、それが誰かの目に留まってお仕事が舞い込むかもしれないしね。
まあ、前にも記したように、自分は編集・メディア運営の側に回る場合もあるので、自分の数字にも他人の数字にもシビアではあるけれど、だからといって数字が取れないコンテンツを「出す意味がない」とはまったく思わない。どこかのタイミングで参照される可能性はゼロではないし、しつこく追っておいて思わぬ僥倖に出くわすこともある。もっと言うならば、数字にならないコンテンツをいかにビジネスへと繋げていくこともメディアとしてのお仕事だ。まぁ、新聞・雑誌編集の出身の人とはこのあたり感覚が違ってそうだけどね!
結局のところ、簡単に報われようとする人はネットメディアには向いていない。石戸氏のように別のステージに活路を求めるのが正しいだろう。確かに現在のネットは「フロー」的ではあるが、2000年代はむしろ「ストック」だと考えられていた。今後も「フロー」と「ストック」の揺り戻しがありつつ、ネットの領域は拡大していく。その広がりを信じる方に、自分は賭けているという言い方はカッコつけすぎだろうか?
なお、トップの画像は『6%DOKIDOKI』のマスクを着用するの図。「カワイイ」を軸としたポップカルチャーを追うのは自分のライフワークではあるけれど、これも「フロー」の積み重ねを「ストック」していく作業だと思っているので、数字なんか知るかの精神で続けていきますよ!