売文屋の罪と罰

 2015年は「無理をしない」「インプットを大事にする」、はずだった。

 まず狂ったのは3月だ。「絶え間なく仕事が入る」という状況に慣れていなかった事もあり、さまざまな私事とのバランスが少しずつ崩れて、やがて雪崩を打って壊れた。喘息もちとはいえ、胃腸は強いという妙な過信もあった。結果的に胃を壊して動けなくなり、大勢の人に迷惑をかけた。

 次におかしくなったのは6月だ。3月の教訓もあり、身体を意識的に休めつつ、慎重に日々を過ごしてきたつもりだった。体力を消耗しないため、本来なら観たい展示や映画をスルーしたりもしてきた。レッドブルと徹夜は厳禁にして、生活のリズムを立て直すことに成功したようにみえた。

 が、こういった努力が虚しくなった、たった1日の気の緩みで潰れた。まず何も書けなくなり、次に胃腸炎が再発し、季節性の喘息に悩まされ、さらには気管支炎まで悪化した。こういったことは適切に病院にかかって服薬をすれば持ち直すのだが、まるまる一月が失われた。ここでも大勢の人を失望させた。

 「ものを書く」というのは気力もだけど、何よりも身体が丈夫であることが一番大事。このことに気づいたのは、自分の知己のある人達が皆そろって壮健(に見える)ことだった。彼らのスケジュールは、自分ならとてもこなせないだろうと思うし、それがこなせない自分は、いつか売文屋としてやっていけなくなる、という恐怖は常に僕のことを脅かし続けている。

 

 ここは、いろいろな因果が巡って、学生の頃のあれだけ憧れた「書く」ということで食べていくことができるようになった僕が、それゆえに抱えることになった罪と罰について、告白する場になっていくのだと思う。もしかしてそれとはまったく別の話になるのかもしれないし、ひたすらアンニュイな、もはや乙女男子と名乗れなくなりつつある自分の、「衰え」を確認する場になるのかもしれない。それを記録しておく価値は、おそらく僕自身にしかないようにも思えるのだけど、数年後には私小説のように読めるのかもしれない。もしかして、そこに一縷の望みを託して、今この瞬間もキーボードを叩いているのかもしれない。

 いずれにしても、ここは僕の、見たものや聞いたものや、割り切れないさまざまな感情の、掃き溜めとなることが運命づけられている。その価値が僕以外にもあるのか、絶望を味わうと分かっていても書かずにはいられない。そこに売文屋としてではない、むきだしの僕が現れるのだとすると、ひとまず僕がここに「いる」理由が生まれることになるのだろう。それを秘かに願いつつ、今朝はログアウトすることにする。

 

 

 


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