いつのまにかに一切やらなくなったこと

 坊主も走るから師走というだけあって、経済状態に関係なく毎年多忙だった12月だけど、今年は極めつけ。とにかく思い通りに回らなくて汲々としている……のはここのところずっとだけれど、それにしても極めつけに大変だ。特に込み入った案件をする時間の確保するのに四苦八苦している。12月が33日くらいになるか、13月ができるのであれば何だって信じてもいい。

 そんなわけで現実逃避に『note』を書き始めたわけなのだけど。『ダイヤモンド・オンライン』にこのような記事が載っていた。

 http://diamond.jp/articles/-/82738

 「異業種交流会に通う人に人脈ができない」というのは、本当にその通りで「何か面白いことをやりましょう!」といわれても、「何か、ってなんだよ」と内心思うばかりだし、僕は「面白い」を言葉に出してくる人のことを2割減くらい自動的に見積もるようになってしまっている。

 だけど、数年前に木っ端ブロガーだった僕は、行くところのほとんどすべてが「異業種」の人たちばかりだった。しかも僕などよりは1万枚は格上な中に飛び込んでいっていたわけだから、今となっては無謀極まりなかった。もちろん、僕としてはお仕事につながる「何か」がそこで得られることができればいいな、という砂糖菓子的な考えを持っていたことは否定できないだろう。

 当然ながら、そこで「お仕事」は得られなかった。それでも現在までつながる「顔見知り」や「人脈」と呼べるものが得られたのは、僕が常にブログでアウトプットしていたからだ。自分の書くものが意外と読まれていることにも恐縮しつつも自信になったし、それが次の「何か」を書くモチベーションになっていたように思える。

 また、「異業種」の中に飛び込むことで度胸もついた。もともと人見知りだった自分がまったく初対面の人とでも自然に会話できるようになったのは、この期間の「素振り」が効いているのだと思う。

 さて。会社を解雇になって仕方なく本腰を入れてやるようになったライターだが、最初のうちは様々なところにアプローチをしていた。それがメールだったりもしたし、直接ひとに会いに行ったりもしていた。ただ、そこから「お仕事」になかなか繋がらなかったのは、僕自身に実力がなかったからに他ならない。

 ちょっと状況が変わったのは、アルジェリアテロ事件で、親族の意に沿わずに実名報道が行われた件で、関係者のインタビューを出したことだった。

 http://getnews.jp/archives/285782

 「一次情報」(厳密にいうと違うかもしれないが)を早期に動いて発信することができたことで、僕の中で「何も出さなければゼロだけど、何かを出せば1以上にはなる」という考えが確立できた。それにより、「とにかく書いて出す」というニュースサイトのライターとしてのスタイルに馴染めたのは、この時期くらいからだった。

 となると、他の「お仕事」を探している余裕はなく、とにかく毎日ネタを探して書くということが普通になった。一方で、ブログはブロガーとして、自分の書きたいことを書く場として、書けるタイミングには自分の言葉で書くということは止めなかった。

 そうすると、不思議なことに「お仕事」の話を持ちかけられるようになった。僕がさまざまなジャンルのことを嫌がらずに「書ける」ということが伝わったのかもしれないし、単にタイミングがよかったのかも知れない。いずれにしても、「営業」することなく、「お仕事」が増えるように自然となっていった。

 多分に運が良かったという面が否めないし、相変わらず草が生い茂る裏街道をかき分けながら進んでいるのには変わりない。それでも、「求める」側から「求められる」側になれた、というのは「異業種」への無謀な飛び込みをやったことが、後々になって生きた、とも取れるのかもしれない。

 まあ、他人には絶対におススメできないですけれどね。とにかく運が良かった。


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