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雲隠れ見えぬ月に思うこと
ここ数日の春を思わせる陽気から、肌寒さを感じる雲に覆われた日に、ある訃報を知った。その方は、特別に親しくしていたわけではないけれど、自分が社会という得体の知れないものと、どのように向き合っていいのか見当もつかずに途方に暮れていた時期に、大事なヒントを貰った方だった。歴史のある組織の底力はもの凄い、と実感させられる方だったし、穏やかな話し方ながら時に見せる鋭さに圧倒されたものだった。
あの頃の経験を活かせているのか、正直なところ心もとない。ただ、長い時間ではないけれど、同じテーブルを囲んで話したことは、それまで自分が経験していないことだったし、その後も経験することはないだろう「知らない世界」だった。そういったことが、この世界で「中心」に近いのだとわかったことは、やはり自分の中ではとても、とても大きなことだった。
去年、心身のバランスを派手に崩して、「もう書けないかもしれない」「もう生きる術がないかもしれない」となった時、寸前のところで踏みとどまれたのは、「生きていればなんとかなる」と声をかけてくれた人たちのことを思い出したから、というのも理由の一つに挙げられると思う。ぜんそくもちで、「30歳まで生きられない」と思っていた自分は、その歳を過ぎてどこか自分の命を「おまけ」のように考えていた節があった。5分後に死ぬかもしれないし、そうなってもいいと公言することもあった。大間違いだった。「もう書けないかもしれない」という恐怖は「僕はまだ書きたいんだ」という欲求の裏返しだった。自分はまだ子どもみたいなことを考えていたんだ、と思い知った。
それから、自分の中のマインドを完全に「生存戦略」に変えた。朝起きて夜は寝る。三食きちんと食べる。適度に身体を動かす。そして、「お仕事モード」をオフにする時間を作る。まだそういった生き方に慣れないけれど、慣れないといけない。そして、「書ける」ということが誰にでもできることではないということを、もっと理解するべきだし、感謝すべきだと思い、日々を過ごせるようにはなってきた。
そんな矢先に聞いた訃報だった。もうお会いして感謝の気持ちを伝えることも叶わなくなったけれど、自分ができるだけ長く「書く」ことで、それに替えて頂けないですか、と言えば短く笑ってくださるような気がしている。
今はただただ、ご冥福をお祈りします。