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時代の「風」に敏感になるために

 今日はプライベートで伊豆の伊東まで日帰りで行ってきた。あじのたたき定食やカニの味噌汁に舌鼓を打って、温泉に入って、伊豆柏屋のようかんを買ってきて、一足早く夏を満喫した。知人たちと創作同人界隈の話を存分にできたし、有意義な週末を過ごすことができた。

 とはいえ、行き帰りの電車の中や合間にはちょこちょこと執筆や編集をしていて、完全に作業から手離れできていなかったのだけれど、むしろその方がいつでもどこでもお仕事が回せるということの証明にもなっているし、僕の性にも合っているように思っている。

 海風の涼しさに身をまかせつつぼんやり考えていたのは、時代の「風」をどう切り取っていくのか、ということだ。僕にとってはアニクラ界隈や創作同人のイベントを取材するのは、2010年代の地べたでの動きをどのように「残していく」のかという課題意識があるから積極的にピックアップしているわけだし、そこからどのような「人」を見出すことができるか、ということも「メディア」の役割だろう、と考えている。そして、自分よりも若い平成生まれの世代をどのように紹介していけばいいのだろうか、ということも僕らに課せられた責務であると思っている。

 そういう意味では、最近のメディアで取り上げている若年層の取り上げ方って、「意識の高い」系に偏っているように感じるんですよね。その典型例が、椎木里佳さんのこのインタビューだと思ったりするわけ。

 https://cakes.mu/posts/13227

 別に日本が「イケていなくない」というつもりはないし、「イケてない」部分も多々あることは理解できるのだけど、ではまったく「イケている」部分がないのか、といえばそうではないというのは、「地上」での動きを見ていれば肌感でわかる。これほど多様なカルチャーがごった煮になっている街は東京以外にないと思うし、そこに惹かれてやってくる外国人も多々いる中で、海外から「取り残される」というのはピントがずれている。

 結局のところマーケや「戦略」といったことは「虚業」に堕しやすいし、一方で「カタチ」を生み出している動きはあちこちにあるわけで、そういうところにメディア人は目を向けるべきだろう、というのが僕の基本的な考え。それが目に入らないのであれば、「センスがない」という謗りを免れないと思うし、特にビジネス系のメディアの大部分が、こと若い人の見方に関しては心底「イケてない」と言わざるを得ないよなー。

 今や若くして「起業」できるのは珍しくないし、そこでどんなアウトプットを生み出して、それが社会にどんなインパクトを与えたのか、ということが問われている。その大小はあっても、何かしらの変化をもたらしたことは「実績」だしそこにこそ光を当てるべきで、僕がやっていることってつまりはそういうことなんだ、という自負があったりするし、僕の関心もそこにある。

 今回もとりとめもない話になったけれど。僕が東京やいろいろな街で感じているのはそういった「変化」だし、「変化」を起こしている人がいることだし、その積み重ねはおそらく30~50年というスパンでは必ず注目される時が来る。そのための材料をどれだけ提供できるのか、情報の「生残性」にはこれからもこだわって発信を続けていきたいと、伊東の海風に髪を乱されつつ気持ちを新たにしたのだった。それが時代の流れに敏感でい続けるために必要なことだと、僕は信じている。

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