自分がやらなきゃ誰もやらない。だがそれを世へ出すことに意味はあるのか。

 ここ数日悶々としていた。どれくらい悶々としていたかといえば、この2日どこにも一本も記事を出してないし、ブログも書いていない。アウトプットしたいことは多々あっても、言葉を紡ぐ段になると上手くいかない。そんな状態が続いていた。

 僕がリリース当初から関わっている『オタ女』( http://otajo.jp/ )というサイトがある。「アニメやマンガも好きだけど、コスメやファッションも気になる」というライト層をターゲットにしたメディアなのだけど、僕は少し拡大解釈して「ものづくり」「表現」に興味のある女子に向けた内容のコンテンツを出すようにしている。幸いにも、少ないながらも継続的に読む読者層もいて、小さいながらもひとつのメディアとしてほのぼのと続けてきていた。

 ここ数日の僕の煩悶は、実のところこのサイトについてで、理由はここでは明かさないが、前回記した「ステマ」を巡っての余波を被っているとだけ記しておく。いろいろ理不尽も感じているし怒ってもいるのだけど、怒るにも気力がいる。そのテンションを持続させるには、あまりに他にやることも多いし、正直なところ投げ出したくなることもある。

 そういった時に自問自答するのが、冒頭にある「自分がやらなきゃ誰もやらない。だがそれを世へ出すことに意味はあるのか」という問いかけだ。

 うぬぼれになるのかもしれないが、僕はこれからブレイクしそうな才能にはちょっとした嗅覚が働くことがあって、例えばきゃりーぱみゅぱみゅちゃんにネットメディアで一番最初にまとまったインタビューを出したのは、僕だったりするはずなんですよね。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw66361

 あとは、彼女のMVやツアーの美術をやっている増田セバスチャンさんは2011年春に著書『家系図カッター』を出した頃から継続的に追っていて、さまざまなタイミングでインタビューをしている。彼もアートディレクターとしてだけでなく、NYで個展を開いてアーティストとしても注目されるようになった。

 ほかにも、『シンデレラバスト』のハヤカワ五味さんも高校生の時にインタビューを出しているし、(参照 http://otajo.jp/17886 )基本的に僕が目をつけて話を聞きにいった人はその後も活躍している。それは僕にとっても非常に嬉しいことだ。

 となると、冒頭の「だがそれを世へ出すことに意味はあるのか」には、YESと確信を持って答える材料となって言えるわけだ。逆に、その確信がないと、「出す」までのさまざまな煩悶を乗りきれない。

 『オタ女』でも、そういったインタビューや紹介記事を、これまでにたくさん出してきた。だから、僕がやらないとこのままインターネットのアーカイブという過去に飲み込まれていくということが分かっている以上は、座視して見過ごすわけにいかないし、「だがそれを世へ出すことに意味はあるのか」という問いにYESと答えることができる以上、簡単に諦めてはいけないんだ、と思っている。

 なりふり構っていられなくなるかもしれない。でも、負けないよ。


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