また「貧すれば鈍する」のがこわい
今日は取材して人と会って原稿書いて……という一日だったのだけど、週末は取材で潰れるし選挙期間中ということもあって今週中に上げなければいけない記事もあって……と、まぁ久々にパンク感を味わっている。そんな時ほど、出したもののクオリティというか瑕瑾が残るものになりがちで、特にブログ感覚で某所に書くのは危なかったと反省させられた。
ここでは何度か書いているけれど、自分の収入は昨年比2/3程度に落ちていて、今のままでいいのか問題は常に抱えているし、さりとて一番自分がキツい時に拾ってもらった恩もある。危機感を感じているのが自分くらいなのがしんどいとことではあるのだけど、身の振り方を考えるにしてもやれることはやってからにしなければ、ともがく毎日だ。
2010年に会社都合で退職して、そこから転職がうまくいかず、なんとか売文業で食べることができるようになったものの、食べていけるようになるまでには土を噛む思いをした。人づてに「ヒモ」だと言われているのを聞いて屈辱感に身悶えしたこともあったし、実際生活はむちゃくちゃだった。そうなると生きていくことに必死になるし、書くものもやっていることも荒れる。今思うと「貧すれば鈍する」を地で行くような日々だった。
とはいえ、見ている人は見ているもので、僕がもがき続けながらも努力している事を認めてくれる人もいたし、手を差し伸べてくれる人もいたおかげで、今の自分がある。
だからこそ、今もちょっとしたお金欲しさで動いてしまう自分がこわい。そんなに切羽詰まった状態でもないのに、どうすれば「売文」を続けていけるのか、真っ先に考えてしまう。それでも、やはり見てる人には気づかれてしまうし、指摘もしてくれる人がいるから、その間はどう自分を律していくのか、そういう気持ちを忘れそうにならないうちに、自分のコミットできることは何とかしなければ、ともがき続ける。結果的に成功しようが失敗しようがね。