はつこさん(@8chyadeofficial)に伝えたい、「書く」ことは素敵で無敵だということ
先週、Facebookをぼんやりとスクロールしていたら、複数の人が言及していた「書くはスポーツと同じくらい広いこと」という記事。私Parsleyも読んでいてモヤモヤしたので、忘れないうちにメモしておこうと思います。
書くはスポーツと同じくらい広いこと(Workship MAGAZINE)
多くの人がツッコミを入れていたのは、横軸が「主観⇔客観」で縦軸が「Web⇔紙」という図。確かに、一番「紙」に近い作詞家でペンとノートで書き連ねている人はかなり年配の方だろうし、Webライターなら事実ベースでありつつも「主観」をスパイスに入れた方がハネる傾向がある。また、雑誌は最近どこもWeb媒体に力を入れているので、紙にもWebにも記事は載る。というわけで、この図のグラフのあり方自体が成り立っていないのではないか、と感じちゃうんですよね。
でも、この図や以下のくだりに、「めっちゃわかる!」みたいな反応が集まっているのを見て、ちょっとしたジェネレーションギャップにめまいがしてしまったのですよ。
自分が「書きたい!」と思ったWebメディアのライター募集でも、どんなライターを募集しているのかは確認しなければなりません。確認しないと「バスケをやろうと思って体育館に行ったら、平均台が用意されていた」みたいなことがおきます。
見てみると、この記事を書いたはつこさんは、「ECサイトの商品紹介文からオウンドメディアの情報まとめ記事、Instagramの投稿文」を「ライター」として受けていたとのこと。まぁ、Parsleyもブログ黎明期(2005年前後)にブログエントリーやメルマガ作成をしたことがあるので、似たような出発点かなぁ……と感じないでもないです。
個人的な話をすると、学生の頃に自分が憧れていたのは天野祐吉さんや小田嶋隆さんのようなコラムニストでした。ブログを好きに書いていて舞い込んできたコラムの依頼で、小田嶋さんと同じ号に掲載されて舞い上がったのは、今でもよい思い出です。
はつこさんは「ライター」という仕事の輪郭が掴めずに困った、といった趣旨のことを記していますが、自分の場合は明確に「これがライターだ」という人と出会っていました。まぁ、速水健朗さんのことなんですけれど。
当時の彼はブログで軽妙洒脱な文章をもってさまざまなジャンルについて縦横無尽に書いていらっしゃいました。雑誌やWebに関わらず記事を出していたし、著書も自身の嗜好とは関係なく、「ライター」という肩書きに徹したお仕事をされていました。その後、速水さんとはちょっとした行き違いで疎遠になってしまったけれど、自分に「ライター」とは何かということを言外に教えてくれたのは、間違いなく彼です。
おそらく、はつこさんはそういった人の出会いの機会が訪れていないのでしょう。そういう意味で自分は恵まれていたのかもしれませんが、それも自分のブログをしぶとく書き続けていたからです。文章というのは書き溜めていても、人様に公開された場所で「レビュー」を貰わないとアップデートできません(私のいう「レビュー」とは、SNSでの反応も含みます)。その数が多ければ多いほど、経験が「ライター」としての血肉になります。
さて、私Parsleyは「Webライター」のお仕事が主戦場ですが、雑誌やフリーペーパーといった「紙」のお仕事の経験もあります。Webだろうが紙だろうが、媒体によってオーダーはそれぞれ違います。それに合わせるのに必要なのは編集とのコミュニケーションであったり、その媒体の過去の記事をざざっと読んで「空気」を掴むことです。とはいえ、「書く」ことには違いがありません。だから、「自分がしたいのは○○で、○○とは違う」となるのは、ぶっちゃけ人間関係に左右されたりすることも多々あります。
はつこさんは、次のように記しています。
「書く仕事をするなら、勝負する競技場、競技、種目を考えようね」 2年前のわたしに言ってあげたい言葉であり、いまも意識し続けていることです。
これ、もし「書く」ことが好きで、それをずっとお仕事にしていきたいと考えているのなら、とても、とても勿体ない考え方だと思うのですよね。
先程も書いたように、自分は「Webライター」が主戦場です。時にはコラムのようなことも書きますし、「ネットの反応」みたいな記事が求められることもあります。取材先も政治家の記者会見から企業の発表会、ポップアップショップのレポート、果ては事件の現場までさまざまです。インタビューも誰でも知っている女優・声優から、それこそ一般のビジネスパーソン、高校生まで、数え切れないほどこなしています。それを「いや、それ自分のテリトリーじゃないから」と断っていたら、そもそも受けられる仕事の数が減ります。何より、いろいろな場所に行けていろいろな人に会えるって、素敵じゃないですか? それが「書ける」というだけで実現可能なのです。
ジャンルを絞らずに「書ける」ライターというのは、ある意味無敵でもあります。仮に自分が好きなものがニッチでお仕事としてできることが少なかったとしても、ブログで発表するなり、自分が媒体の編集部内でイニシアチブを取って無理やりねじ込むなりすることも出来ます。ただ、それが「読まれる」ようになるためには、「ライター」として力をつけることが大前提で、そのためにはひたすら千本ノックのように数をこなして、好意的な反応もネガティブな反応も全て受け止めて、前に進まないといけない。そういった存在が「ライター」なのだと、私は考えています。