梃子でも何でも動けなくなること
僕が売文屋というお仕事を続けるにあたっての致命的な宿痾。それはいつも突然やってくる。もう少し正確にいえば、喘息気味だったり消化器官の調子が悪かったり、気持ちが落ち込んでいたりしていた後になりやすいので、ある程度の予感はあって、自分なりの対策も講じてみたりするのだけど、やっぱり防げない。それが今月訪れた。
前兆はあった。朝一度目が冷めてから、まったく頭が回らない。ぼーっとしているうちに、午前中が終わってしまう。こういった日の連続は僕をひどく焦らせた。気圧が低くて頭痛がする日もあったから、と自分自身に言い訳しつつ、何とか好転することを信じるしかなかった。
信心が不足していたのか、それはやはり朝にやってきた。まったく動けないし、書けない。こめかみにピリッとした痛みが、何かをしようとするのを阻む。ほんとうに梃子でも何でも動けなくなる。PCやスマホに手が届かない。そうしているうちに、気が付くと日が沈んでいる。
やっとPCを開けたとして、まだ文字が思い浮かべない。構成やら段落、タイトルをどうしようか、頭のなかではぐるぐる回っているのに、キーに置いた手が止まったまま時間だけが過ぎる。焦りからか額が汗ばむのを感じたら、もう書けないことがほぼ確定だ。それでも書こうとすると、ビリビリと耳の奥から悲鳴が聞こえるようになる。
この状態になることはいろいろな人に相談をした。「仕事を抱えすぎ」という人もいれば「無駄に責任感が強すぎる」という指摘をしてくれた人もいた。とはいえ、お仕事がなくなるのはそれはそれでストレスだし、人の期待を裏切るのは胸が痛い。どちらにしても修羅の道に感じられてしまう。
いま、ここで文章が書けているということは、今回は呪縛から逃れることができたということだ。いろいろ迷惑をかけた人に謝らないと。この期間はメールのひとつも書けなくなるのだ。ほんとうにこの売文というお仕事を続けていけるのか、不安感が増幅するのはこういう時だ。身体も心も弱い僕のような人間が、やっていいお仕事とは思えない。
それでもやらなければいけないのは、僕がこれまでおかした罪と、その量刑にしたがっての罰なのだろう。
ここまで書けたのだから、峠は超えた。とにかく、山積みの案件を片付けるべく、焦らないように言い聞かせつつ、順番に、深呼吸して、再び動きだす。ほんの少し、書ける喜びを噛み締めつつ。