【読書記録📕】かもめ食堂
ニワカすぎる、とは思いつつも好きになった物はとことん深掘りしたいストーカー気質な私は、結局原作を買ってしまった。あたりまえだけど海外に住んでいるので、日本の書籍が紙媒体で買えるはずもなく、泣く泣く電子書籍でだけど。紙派のアナログ人間には、寂しい決断だったが致し方ない。
でもキンドルにはキンドルの良いところももちろんあって、そのひとつが「後から簡単に線を引いた場所を見直せる」というところ。
「かもめ食堂」は映画を観たばかりだけど、やっぱり原作には原作の良さがあった。特に私が良かったなと感じて線を引いた箇所とそこへの思い入れをちょこっと覚え書きしとこう。
武道をたしなんでいたサチエさんのお父さんのセリフ。
そう、人生ってどんなことも修行だと思う。
例えば私は今絶賛ロシアに住んで働いているんだけど生活はやっぱり大変なことが多い。
言語、文化、そもそものものごとの考え方の違いといった基本的な問題はもちろん、昨今の情勢とやらのせいで、やっぱりいろいろと生活に不便が生じている。
物価の異常な値上がりや、航路の閉鎖や、海外送金手段の断絶・・・。
挙げていけばキリがないし、正直最初の制裁パッケージが発動した時、これからどうやってここで生きていこうかと悩んだし、はっきり言ってこの先ロシアで生活していく自信はなかった。
でも周りの人の助けがあって、徐々にいろんな問題を解決するすべを身につけていったことで、大変さの中にも楽しく生き抜く“コツ”みたいなのがあると気づいた。
そのコツが見つけられるようになれば、自然と気持ちも上を向くようになって、いつまでもクヨクヨしなくなったのは事実だ。
たぶんこれがここで言う、「人生すべて修行」を実感した体験のひとつなんじゃないかな。
どんなことも自分に対する「課題」だと思うことで、実体験を通じた「授業」から学び、知恵を得る。
あたりまえだけど人生は楽しいことばかりではないし、何度もたくさんの壁にぶつかるんだけど、それを「これは学びの機会だ」と思い、修行の一環と脳内変換できれば、なんだかゲームのクエストみたいで楽しくなるのかもしれない。
サチエさんのお父さんの発言は、あくまで武道家としての発言だったかもしれないけれども、私にはすごくいろんな意味で響く言葉だった。
これもサチエさんのお父さんの発言。
早くにお母さんを亡くしたサチエさんは、子どもの時から自分でお弁当を作って学校に行っていたそうだが、年に二回、遠足と運動会の時だけは、お父さんが大きなおにぎりを握ってくれていたんだそうだ。このセリフはある朝サチエさんが目覚めたら、台所に立っていたお父さんが放った一言。
自分の妻が亡くなった時にも泣くことを許さなかったお父さんは、きっととても不器用な人で。
お母さんのいないサチエさんをかわいそうに思いながらも、いつまでも悲しみに沈ませないように振る舞ってきたんだろう。
そんなお父さんが、早起きして不器用ながらに一生懸命おにぎりを作ってくれている後ろ姿を想像したら、サチエさん本人じゃなくても泣けてくるよ。
きっと、ここでお父さんも奥さんに握ってもらったおにぎりのおいしさを思いだしていたんじゃないかな、なんて。
お父さんのおにぎりに対する信念はしっかりサチエさんにも受け継がれていて、作中でも何度も「おにぎりは人に握ってもらった方がおいしいんです」という発言が登場する。
それはきっと、お父さんのかつての後ろ姿を思い出しながら、食べてもらいたい誰かのことを思って、一生懸命作るからなんだろうな、と思った。
なんだか、遠足や運動会の朝に早起きしておにぎりを作ってくれていた母の姿が浮かんで、久しぶりに会いたくなった。
マサコさんのセリフ。どうしてフィンランドに来ることになったのか、というくだりで、一見くだらなそうなことを一生懸命やる国の人たちって、いいなぁと思ったのがきっかけですと言っていたけれど、その続きに当たる箇所だ。
フィンランド人はのんびりしているけど、実は普段はパワーを蓄えていて、いざっていうときにそれを発揮するんじゃないか、って。
ロシアに来るまで、別の会社で働いていた私は、一年目からひどい時には夜は23時までPCにかじりついていた。
土日もやっぱり取引先さんからのメールが気になってPCを開いてしまうし、休暇中に電話が来れば必ず出た。
プライベートも仕事も境目がなくなって、いつからか夜になると泥のように眠るのがルーティンになった頃、私は何のためにこの会社に入ったのだろうと思うようになった。
入社前はキラキラした気持ちで、この会社に入れば世のため人のためになることができる、もちろん一年目からそんなことができるなんて思わないけど、それでも必要な準備をさせてくれるはずだなんて期待していたのがすごく遠い昔のことのようだった。
誤解がないように言っておくけれど、仕事は難しかったし大変だったけどそれなりに楽しかった。
それでも定時で上がれない環境や休む時間を削ってでも仕事をしなくてはならないという雰囲気がどうしても受け入れられなくて、壊れた。
いつからか自分のために使う時間がどんどん減っていって、大好きだったロシア語の勉強や映画鑑賞や美術館巡りはほとんどやらなくなっていった。
時間があっても寝てばかりいて、友達には空元気と無理やり作った笑顔でやり過ごしていた。
仮にマサコさんの言うような人たちが存在するなら。
すなわち普段は質素で穏やかな生活をしているけど、いざっていうときにため込んだパワーを発揮する強さを持った人たちがこの世界のどこかにいるのなら、私は彼らに会ってみたいし、その生き方を学びたいと思う。
フィンランドまでもう少し。
いよいよこれから私は飛行機に乗る。
まずはペテルブルクまで。
きっと今回の旅も素敵なものになるんだろうなと期待しつつ、これから片桐はいりの「わたしのマトカ」を読もうと思う。