おじさん差別を考える
私の差別論
ある人物を特定の基準でカテゴライズして、その人物の人格を決めつけること
これを、差別だと思うのです。
「特定の基準」 とは
性別とか、人種とか、出身地とかが当てはまる。
これに、「高齢者」って含めても良いと思うのですが…
どう思いますか?
差別と区別
もちろん、年齢を重ねれば、体力や視力が鈍くなるのは免れない事実だ。だからこそ、70歳を過ぎたら運転免許の高齢者講習へ行かなければならないし、寿命を考えるとローンを組めなくなったり、就職が厳しくなったりするのはやむを得ないだろう。そこに異論はない。
ただし、人格までも否定するのはいかがなものか。それは差別だと思う。
おじさんに厳しい人たちへ
高齢のおじさんに対して厳しくない?
「おじさんに恋心もつ若い子なんているわけない」
「良い年なんだから現実見ろ」
見ず知らずの人の投稿に対して、見ず知らずの人がリプしているのを眺める。
私が攻撃された訳でもないし、今まで直接このような攻撃をされたこともないから、ほっとけば良いのだろうけれど、少し心が痛い。
だからTwitterのアプリを消し2〜3年放置していた。最近は必要だから使い始めたけれど、やっぱりおじさんには厳しい世界だ…
私の大好きなおじさん
女性の人権を、尊厳を、悪のおじさんたちから守るため、頑張っている人がいる。
それは大変素晴らしい。
でも私の大好きなおじさん、年の離れた大好きな夫を、正義という差別で傷つける人がいたら、私は闘う。
覚悟しておいてほしい。
差別を言語化する魔力
人は言語化してはじめて物事の問題に気づく。かつてセクハラという言葉がない時代、セクハラは無かった。(実態としてあったのかもしれないが人々の認識として問題視されていなかった。という方が正しい。)
言語化する力はまるで魔力のようだ。
だから、現在のうのうとおじさんヘイトをする方へ忠告したい。
いつの未来になるか分からないが、「おじさん差別」という言葉が、それと似たような言葉が言語化された時、今の女性差別などと同じように問題視される未来が来たとき、
あなたの投稿は、果たして正義になるだろうか。
智慧
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