言霊よもやま話 Vol.10 六大伝説 〈かちかち山〉
原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰
像法末法(ぞうぼうまっぽう)の時を超え、那岐(なき)(名木)、那美(なみ)(波)二神の産霊が鳴る日は近い
或るとき、爺さんが狸を一匹捕えて来た。爺さんの留守に狸は婆さんを殺し、婆さんに化けた狸は、狸汁と言って婆さんの肉を爺さんに食べさせた。そこで狸は正体を現し、悪口を吐きながら山へ逃げて行った。「婆食った爺よ、流しの下の骨を見ろ」。
爺さんは日本の天皇、婆さんは日本の学者、政治家と釈く。狸(たぬき)は田抜(たぬ)きの咒示、言霊の田、すなわち天照大御神の御営田(みつくだ)(神田(みとしろ))のない思想、五十音言霊の田の範疇がない事で、この思想は、崇神天皇以来、盛んに爺さんの家である日本に輸入された、主に仏教である。狸が婆さんを殺したというのは、田の無い思想が、御斎田(みつくだ)の原理の操作施行に任じていた政治家、学者たちを征服してしまったという事である。
流しの下には、婆さんの骨が散乱していた。骨組だけで、布斗麻邇の実質である言霊がない。同床共殿廃止後の封印された神道であり、骨を撫でて美しかった昔の姿を偲んでいるのが今の神道である。
狸は山へ逃げたが、その山は、高野山金剛峰寺、比叡山延暦寺、身延山久遠寺等々。狸坊主は緋の衣を着て、般若湯で酔っ払って、ふんぞり返っている。しかし、この物語は悪口を言う為のものではない。
嘆いている爺さんの所へ兎が訪ねて来た。鰐鮫(にわさめ)の数を数えようと皮を剥がれた「稲葉(いなば)の白兎」だ。万有(う)を裂き(さき)分析し、成立ちを究めようとする科学の事である。兎は婆さんの敵討ちを約束した。兎は狸を柴刈りに誘い、山道で狸の背中に「カチカチ」と火打石を打った。
狸が怪しむと、ここはカチカチ山だと答えた。狸は背中に大火傷をした。柴は、言葉、道理の事である。柴刈競争とは、科学と宗教の力比べである。
兎の科学には独特の法があり、それは火だ。火打石、竈(かまど)の火から第二の火の電気、第三の火の放射線になった。この科学の火に狸の宗教は大打撃を受けたのだ。
兎は、薬と言って唐辛子を狸の火傷に塗ったので、狸はまたひどく苦しんだ。唐辛子は近代科学に当たろう。
とどめに兎は狸を誘って魚釣りに出かけた。兎は木舟、狸は泥舟である。泥舟は沈み、狸は溺れ死んでしまった。こうして兎は首尾よく婆さんの敵討ちをしたのである。魚(な)は名(な)(言葉)で、名を釣るとは事物の大義を明かにする道の発見、実践である。木の舟には筋目があり、原素の周期律、電子数、陽子の中実、放射性物質の放射能半減期等、数として全て条理が定まっている。対して泥舟は木舟に到底対抗出来ない。像法末法の時、兎の科学と狸の宗教が実相界(海原)で力比べをして、泥舟はあえなく底の藻屑、崩壊消滅するとの予言が、この「カチカチ山」である。
これには後の物語がある。宇宙は伊邪那岐(なき)(名木(なき))、伊邪那美(なみ)(波(なみ))の産霊によって成るが、名木は粒子、波は波動。物理現象としての粒子、波動と、精神現象としてのそれとが感応同交し、物体即精神、精神即物体が、融通無碍に交わる時が来る、早ければ十年の未来に予想できる。
(つづく)
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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。
【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)