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言霊よもやま話 Vol.4 〈主基(すき)と悠紀(ゆき)〉 其の二

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰

三貴子(みはしらのうずのみこ)の分治」を超えて…大祓祝詞の予言と命令が実行される時

宗教は、此の後、如何ほど霊能を発揮し愛と道徳を強調しても、権力と産業の世界をどうすることも出来ないのがその宿命である。そのための方法を持たないからである。世界の宗教は既にその使命と任務を終了している。

だが他方、世界の武力と金力も、薄ぼんやりとしか真理が見えない「月夜見」である従来の宗教の世界を最後の堡(ほう)として、人間の人間性を死守している人類のいま一つの生命の半面の世界を、も早や、是以上征服することも出来ない。

宗教の世界の一面として存するのはローマ法王庁であり、印度の法華経の行者マハトマ・ガンジーの後継者達であり、そして中華四千年の伝統の責任者としての中共であり、モーゼの教えの半面を把持しているアラブ諸国でもある。これ等に対して他方の大国主(須佐之男)の国曳き、神選民族ユダヤの世界制覇の歴史的活動も既に現時点において限界に到達したようである。その大国主命の第二の妃である八上姫(やがみひめ)は第一の正妃(むかひめ)である須世理姫(すせりひめ)を凌ぐことは不可能だ。

人類の歴史の中で世にモーゼより偉大なるはない。天津日嗣の宏謨の下に主基、悠紀の田を営んで、ヨーロッパ三千年にわたる方便の時代を開いた。釈迦がこれに亜(つ)ぐ。今日その歴史的な方便の時代が終局に到達した。神選民族のシオニズム運動は今日の現状のままで既に終結し、その天職使命は果たされている。金木の左右両横綱の勝負は引き分けである。

此の時最後の救いの手は双方に差し伸べられている。予言者イザヤの言葉の如く、海の彼方の美しい神聖な山がある島に、その救いの手が待っている。然し実際にはまだまだ当分の間、この両者はどちらもそのライヴァルをどう為し得る方法もないままに、今後もなお宿業の死斗の平行線を辿って行くことである。

事実東南アジアにおいても、パレスタインにおいても、解決のない戦局が今後ともに色々と形を変えながら一進一退の状態で繰り返されて行くことだろう。文明の左右の両翼が対立したまま宿業の抗争を続けなければならない事は、此のままでは人類は救われがないことである。救いがないのは両者共に解決の方法を持たないからであって、ここで大嘗祭の儀式の通り天津金木の主基と悠紀の稲穂を集めて天照大御神に奉って、その指導と整理と処置を仰がなければならない時が来た。

「天津金木を本打ち切り、末打ち断ちて、八針に取裂きて、天津祝詞の太祝詞辞を宣れ」という大祓祝詞の予言と命令が実行される時が来たのである。世界の問題の究極の解決は日本へ来て、第三文明会に用意されている三種の神器、布斗麻邇の指導を仰がなければ得られない。天津金木が自己の解決を求めて日本の門を敲くことを須佐之男命の「舞上がり」と言う。

もう少し説明を加える。世界は歴史的、哲学的、地理的に月と星と日の三つの国に分かれている。月の世界は月読命の世界、全アジアの地域である。星の世界は須佐之男命の世界、欧米の地域である。そして第三の日の世界は天照大御神の世界であって、その国は高天原の形而上の日本である。これを「三貴子の分治」と言う。

(つづく)

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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)


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