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【未来小説】 自動運転の罠 (後編)

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶


 事故を起こしましてからは、忸怩たる思いで機械に運転を託すようになりました。私でさえそうなったのですから、今年の自動運転率は九十パーセントを超えると予想します。それはともかく、自動で走って止まって曲がるというのは、そわそわと座り心地が悪いです。良く言われますのは、楽になったでしょうって。いいえ疲れるのです。正面を注視しながら肩肘張ってハンドルを握っています。手汗が凄いです。ハンドルは握っているだけで機械が動かしているのです。その様子を見た恋人はけらけらと笑いました。ゆったり座っていいのだと言われましたが、やはり怖いのです。ひやっとすることがあると、もう心臓が飛び出そうです。いっそ目隠しして乗りたいくらいです。ドライバーの見守る義務って何なのでしょう。うたた寝している人が多いのに。いい加減な規則です。

 春らしい陽気になってきた頃、だんだん自動運転に慣れてきました。使い始めて一ヶ月半くらいです。手はハンドルから離れて、ぼんやり前方を眺めています。たびたび脇見するようになります。ふと思いましたのは、また自分で運転するのは危険だということです。脇見癖はとんでもないことになりますから。一度自動運転に慣れてしまうと、もう戻れない便利さの罠なのです。戻る必要がないと洗脳されます。こうして人間は、まっさきに女性は、機械に支配されるのです。なんと嘆かわしいことでしょうか。涙を禁じえません。そんな話を恋人にすると、可愛い奴だとからかわれます。カチンときます。朝も起きられない人に言われるのですから。

 けれど、職場では私が足を引っ張りました。社用車での事故以来、信頼を取り戻そうとする努力が空回りしていました。言い訳になってしまいますが、ミスを誘発するような不運がたびたびやってきました。流れが悪い状態です。参考程度に見ていた占いをやけに意識してしまいます。大丈夫だよと言ってくれる周囲からのサポートに深く感謝しました。

 五月中旬、夜遅くまでの残業が三日続きました。自動運転にも感謝せざるを得ません。そうして、ついに車内で寝てしまいました。到着を知らせる音楽で目覚めると家の前でした。悔しいことに、なんて素晴らしいのだろうと思うほど、疲れ切った甲斐があって・・・

 ようやく自分でも納得できる結果が実りました。会社の役に立った実感がありました。休日もやっていたのだろうと上司に訊かれて、少しだけと答えました。明日休んでいいと言われましたが、まだ取り返せてはいないのです。甘えている場合ではありませんでした。

 それから二週間後の少し曇った朝、いつも通りタッチパネルを操作・・・といっても、恋人に設定してもらったボタンを押すだけですが、自動運転で会社に向かいました。なんだか気持ち良く、こくりこくりしていましたから、そろそろ着きそうだと分かった際は、もう少しこのままでいたいと思いました。すると、まるでその願いを汲み取るように、車は会社のビルの前をすーーっと通過しました。一瞬疑った夢、ではありません。おろおろするばかりで、タッチパネルに触り掛けました。思いとどまったのは、後続車をバックミラーで見たからです。等間隔の車列は滑らかに走っています。余計な操作をして止まってしまったら一大事です。何が怖いって分からないことです。やはり機械は理解しがたいものです。壊れているのかもしれないですし、乗っ取られているのかもしれないですし、言葉だって通じません。けれど、赤信号で止まった際にタッチパネルを弄ると、無表情な声で機械に話し掛けられました。どうしましたか?何でも聞いてください。ですから必死に説明しました。早口になりました。同じことを何度も言いました。それなのに・・・結局理解してもらえませんでした。すみません分かりませんって。所詮機械ですもの。蹴飛ばしてやりたくなりました。

 やがて、良く知っている駐車場に入りました。到着を知らせる音楽が流れました。目の前には宮殿風の白い建物です。そこは少し足が遠のいていたトータルビューティーサロンでして、スパも併設されています。困惑していると、タッチパネルにメッセージが表示されました。 

“よい休日を”

 恋人が仕組んだ罠でした。そういえば彼は、前日私の車を何やら操作していたのです。連名で幾人かの同僚の名前も表示されました。誰に電話を掛けても繋がらず、自分の番号は職場の電話にも拒否設定されているようでした。店員さんがこちらに近づいてきました。お待ちしていましたって、車を降りると言われました。まだ開店前の時間ですが、私はビップ待遇で迎えられました。観念するしかありません。笑っちゃいます。知恵を使って何か職場に連絡すれば野暮になります。お金まで事前に支払い済みでありましたから。

 昼過ぎまでゆったり羽を伸ばすと、やはり仕事が気になりました。そういう私の性格を見透かしての時間が、サロンでは用意されていました。来た道を自分で運転することにしました。サロン行きに書き換えられたボタンを自分で戻せないのです。緊張感を持つように意識しました。なにせ久しぶりの運転です。ここで事故を起こしたら、折角いただいた休日を台無しにしてしまいます。

 無事に到着しまして、意気揚々と満面の笑みで職場に入りました。けれど、即座に凍り付きました。一斉に睨まれたのです。漂う雰囲気は何やら険悪です。そうして、私は露骨に無視されました。通りがかりに舌打ちする人もいました。とてもお礼など言えません。自分の席に座ると上司がやってきて、緊急の大きな仕事が発生したと言われました。続けて、休めと言った日に休まず、大事な日に無断欠勤するとはどういうことかと叱責されました。言い訳せずに謝るしかありません。恋人の姿はありません。恐る恐る訊くと、君の代わりに今は取引先に行っているのだと、君の代わりを強調される始末。あのメッセージに名前があった同僚たちは知らんぷりを決め込んでいます。けれど、そのうちの一人がこっそり謝ってくれました。

「ごめんなさい。当初は全員賛成してくれたはずなの。でもね、突然手の平を返されちゃって」

 私はため息をつきました。みんな卑怯だなって思いました。善意がころっと、一瞬にして悪意に変わったのですから。昨日の味方は今日の敵だと学びました。天国から地獄と言ったら大袈裟ですが、こんなに悲しい気持ちは記憶にありません。今時珍しいパソコンを開くと、恋人からメッセージが届いていました。

“ごめん。本当にごめん。今夜詳しく説明する”

 運が悪かったと言えばそれまでです。仮に昨日であればこんなことにならなかったのです。そう思いながら私は返事を打ちました。

“お陰様でみんなの本性を知りました”

                  *

 僕は亜咲からのメッセージをすぐに確認した。手厳しい当て擦りである。至極当然。梯子を外されたのだから。彼女は今、皆がばたばたと動き回っている理由について知らされていない。黙々とできる仕事を行っているだろう。緊急の仕事とは何か、考えを巡らせているだろう。怒りを露にして帰ったりせず、ぐっと耐え忍ぶ彼女の様子が目に浮かぶ。やはり心苦しくなった。もう少し耐えてほしいと願う。これは社長曰く、Pプロジェクトだ。

 恐らく亜咲は定時退社の時間に会社を出る。さすがに残業はしないだろうし、僕を待ってもいないだろう。会社の駐車場に向かう際、そこで呼び止める役割は、同僚の坂本さんが担う。副業で舞台に立つセミプロの女優だ。用意されている台本は、良心の呵責に耐えかねたような顔つきで、まず謝罪する。今日のことを計画した全員、同じ気持ちだと伝える。そして今夜きちんとお詫びさせてほしいとレストランに誘い出す。

 午後六時半過ぎ、空は暮れなずんでいた。心地良い風が吹き抜ける中、坂本さんからメッセージが届いた。順調ですと。彼女の車に先導されて、亜咲の車も自動運転で走り出したようだ。わざと遠回りすることになっている。十五分ほど二台は連なって走り、と或る十字路でそれぞれ逆へ曲がることになっている。亜咲はまた騙されたと思うだろうか。さすがにこれは善意によるものと気づくだろうか。いや、もしかすると、今度こそシステムの故障だと思うかもしれない。車の音声案内は何を訊かれても、すみません分かりませんと答えるはずだ。自動運転は簡単に解除できなくなっているはずだ。坂本さんが設定を間違えていなければ、亜咲の車はレストランではなく、町外れの川原へ向かい、小さな橋の袂で止まる。僕は橋の上で待つ。地元では成功率が高いと噂される告白の名所だ。僕が交際を申し込んだあの日から、今日でちょうど七年。五月三十一日。Pプロジェクトの頭文字は、プロポーズのことだ。

 僕は白いタキシードを着て、薔薇の花束を持ち、橋の真ん中に立った。辺りはすっかり、川のせせらぎも、濃藍の夕闇に包まれている。欄干の照明がぼんやり灯っている。橋の下で成功を祈る社員たちに乗せられて、良く考えれば絵面はコメディーであるが、いたって真剣である。こうやって背中を押してくれたことに感謝している。ここまでして失敗したら恥ずかしいという気持ちはない。当たって砕けろと腹を括っていた。騙したことをしっかり謝ろうと思っていた。乞い願わくは、プロポーズを成功させて、今日一日を最高の笑い話にしたい。

 ほぼ予定通りの時間に、見つめる先からヘッドライトが低速で近づいてきた。そして止まったのは、亜咲の青い車である。もうここに連れてこられたと気づいているだろう。同じ日、同じ場所で、七年前にあったことを思い返しているだろう。少し間があって、亜咲は車から出てきた。こちらへゆっくり歩いてきた。次第にはっきり分かった顔は、意味深に薄い笑みを浮かべている。

「そんな格好させられて、まだ気づいてないのかしら?」

 彼女は向かい合うとそう言った。僕は動揺して、へ?と間抜けに言っただけで、続く言葉が出てこなかった。

「最近の高性能カメラって、人の目に見えないくらい小さいの。ほらそこ、飛んでいるでしょう? ご飯粒にも満たない小さな光。つまりこの様子は空撮されていて、暗くたってはっきり映るの。今ね、あなたが余りにも哀れになって・・・暴露しちゃった。みんなごめんね。面白い動画が撮れなくて」

 橋の下が一瞬ざわついた。気まずい雰囲気になった。僕は亜咲と真顔で見つめ合い、そして笑った。結局僕が騙されていたのだから。嗚呼、なんて清々しいのだろう。どうぞ面白がってくれ。僕はもともとプロポーズするつもりだった。ぐずぐずしていた自分が悪い。きっかけをつくってくれたお礼として、笑いを提供しよう。僕も亜咲を騙した。要するに、成功するだろうと慢心していた。実は失敗するなどと思っていなかった。なんという自惚れか。これほど美しい人を前にして、絶対成功するとは何事か。ふられてしまえばいい。さあ、声に出せ!

「愛してます。僕は何があっても亜咲を愛し続けます。どうか結婚してください」

 花束を差し出すと、指輪を忘れたことに気づいた。亜咲の目から大粒の涙が零れ落ちたのは、無論それが理由ではない。彼女は深く頷いて、花束を受け取った。受け入れてくれた!

「嘘じゃありませんか?」

「嘘なわけありません」

「カメラは嘘。仕返しです。みんなが隠れているって分かりましたから」

「へ?」

 橋の下でどっと笑った社員たちが、一斉に駆け上がってきた。お祭り騒ぎで手荒に祝福してくれた。大成功!と書かれた光るボードを高く掲げているのは、行かないと言っていた社長である。まるで自分のことのように、男泣きしてくれた。

 僕は今日という日を決して忘れない。

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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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