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普賢菩薩勧請とこれからの道 〈前編〉

執筆:伊那市・洞泉寺住職  横山凌雲

【Parole編集部より】
ここに出てくる普賢菩薩像とは、
七沢賢治先生の依頼により、今から約30年前に
釈迦族がカトマンズで製作したものです。

線香の煙が充満する部屋の中で
御本尊を入れるという開眼供養をおこなったそうです。

その時代の最高クラスの仏師と彫金師が
日本のために作ってくれたもの、
それがこの普賢菩薩像です。

普賢菩薩勧請の経緯

洞泉寺に普賢菩薩像を勧請させていただきまして5か月ほど経ちました。その折の経緯について書かせていただきます。

令和元年9月3日、七沢賢治先生の毎朝のお話『はふりめく』で「普賢菩薩像がありまして、それをどうしようかと相談しておりまして・・・」というお話がありました。ネットで拝聴していた私は、家内に「洞泉寺に来たりして・・・」と冗談半分で言いました。

その翌日、石原さんより「普賢菩薩像を洞泉寺に置いていただくことは可能でしょうか?」というご連絡をいただきました。
「もちろん可能です。と言いますか、お断りする理由がありません。」とお返事致しました。「まさか」と「やはり」という思いが交錯しました。

次の週、私は甲府へ伺う予定がありましたので、その折に直接受け取らせていただくことに致しました。
ところが、いざ当日甲府に参りますと、石原さんやスタッフの方からこぼれる言葉は「車に載るかどうか・・・」「載っても降ろせないと思うんですよね・・・」「まあ、とりあえず見てみてください」という、なんとも微妙なものでした。

そういえば、私も大きさをお聞きしていませんでした。
そして、なんとなく総丈一尺くらいの木像だと思い込んでいました。

「こちらです」

スタッフの方が指し示す先には金属製の普賢菩薩様・・・
しかも象に乗った総丈五尺・・・

「ああ、今日は無理ですね・・・笑」

ということで移動は後日ということになり、スタッフの方に日程調整をしていただきまして9月11日15時頃洞泉寺着という予定での搬送になりました。

普賢菩薩像の運び込み

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搬送の当日の天気予報は、曇り時々雨でした。
雨だと運び込むのが大変です。

予報通り、到着1時間前に雨が降り出しました。それでもなんとかなるだろうという思いはありました。
そして、一時は強く降った雨も到着の時には上がり、雲が割れてきました。

お二人のスタッフの方と、私がお願いした近隣の若手僧侶二人で、まず台座から運び込みました。
本堂の正面から階段を登りました。
堂内に入る時には光が差し込み、「ああ、仏様がいらっしゃったのだ」と感じました。

甲府にて普賢菩薩様と初対面した後、私は洞泉寺のどこにお座りいただこうかと思案致しました。
想定していなかった大きさでしたので当初考えていた場所では無理でした。
検討した結果、本堂内のふさわしい場所を思いつきました。

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像は台座、象、蓮華座、菩薩像の四つに分かれた構造になっています。
分解された状態で搬送し、あらためて組み立てたのですが、なかなかカッチリと組み合わさりません。
このような作業は誰も経験していないのですから無理もありません。

netenスタッフと若手僧侶、みんなで喧々諤々、試行錯誤しながら、最終的にはなんとか上手く収めることができました。

皆様のお陰で、普賢菩薩様に無事お座りいただくことができ、心より感謝申し上げます。

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後編はこちら →

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