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言霊よもやま話 Vol.6〈主基(すき)と悠紀(ゆき)〉其の四

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰

主基の田の人々が高天原に舞い上がって来る、 御手代 (みてしろ)となり、その日を待ち受けていよう。

しからば今日以後、金木の両翼である主基、悠紀の田の対立が、これ以上尖鋭(せんえい)化して、最後のデスパートの死闘に陥るだろうか。パレスタインの戦争が更に激化し、 朝鮮、東南アジアの紛争を口火にして拡大し、かつての軍国主義日本のように、毛、(林)、周のトリオが四億の民衆を駆って、米ソを向こうに廻して、自らミサイルの奇襲攻撃の火蓋(ひぶた)を切るだろうか。そうはならないだろうし、そうならないことを願う。 

第三次世界大戦は三十分で片が付いて、全人類の滅亡を意味する。 天津日嗣(あまつひつぎ)の経綸は、今日のこの時のた めの方策を既に四千年昔から用意している。それは主基と悠起、須勢理姫(すせりひめ)と八上姫(やがみひめ)の対立をこのままで揚棄(ようき)する方法である。大祓祝詞(おおはらいのりと)がそれであり、古事記がその指導書である。繰り返して述べる。「天津金木を本打ち切り、末打ち断ちて、八針に取裂きて、天津祝詞を宣れ」と言う。

その方法は世界経営の根本を革(あらた)めることであり、すなわち全世界の革命であり、維新である。その原理は既に形而上の高天原の内に、神代ながら天壌無窮(てんじょうむきゅう)、万世一系(ばんせいいっけい)の言霊布斗麻邇(ふとまに)の神器の神法として、復古、再現、整備、把持(はじ)されて、第三文明会 において把持奉戴(ほうたい)されている。

第三文明会の活動は、天津日嗣の高御座(たかみくら)の復辟(ふくへき)、再建であり、この会は高天原日本の仮政府である。 第三文明会は天津日嗣の世界経綸の使徒であり御手代(みてしろ)である。

経綸は予定通り順調に進捗しつつある。既に米国、ユダヤ、フランスから第 三文明会に日本の道を求めて人々が集って来た。天津金木の、向かって左半面の世界の悠紀の田の人々は、既に幾人か高天原日本の門をくぐった。

この次に予定されているのは、右半面の主基の田の人々である。印度のヨガがその霊能の最高の完成を求め、中華の儒教と易がその原理の立命を願い、アラーの神がその「荒」(あら) の彼方のものを求めて、その各々の民族を代表する人々が高天原に舞い上がって来る日を、天照大御神の五百箇御統珠(いほつみすまるのたま)、言霊布斗麻邇の装いを整えて待ち受けていよう。

(つづく)

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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)

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