見出し画像

言霊よもやま話 Vol.9 六大伝説 〈舌切雀〉

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰

地悪婆さんに舌を切られ、二千年もの歳月、ガヤガヤと唯物史観のしがない暮らしを続けてきた雀達 、それが日本人だ。

「舌切雀 」のスズメの語義は鈴埋 (すずうめ)である。
伊勢五十鈴宮(いせいすずのみや)の五十音言霊を魂の中に埋め(宇受売(うずめ)て頂いて、その言霊を組み合わせた神の国の言葉である。大和言葉を日常に用いている日本人天孫民族のことである。よいお爺さんは神代からの天津日継(あまつひつぎ)天皇、意地悪婆さんは日本の政治家、学者、宗教家と釈く。

ある時、おばあさんが糊をつくったところ、雀がその糊を舐めたために舌を切られた。ノリとは教、論、典、範、 訓
の咒示であって、仏教や儒教や近く はキリスト教の唯物史観である。そのために日本人は、千早振る神の言葉を忘れて言えなくなった。すなわち舌を切られた。これが舌切雀である。現在の我々、日本人である。

その後、舌切雀は唐の竹藪に逃げて行って、ガヤガヤしない暮しを続けてきた。その間に歴史的に言えば、崇神天皇の同床共殿(どうしょうきょうでん)廃止以来の二千年の歳月が過ぎた。

やがて時がきて神代に雀を育ててくれたお爺さんが、久しぶりに雀を訪ねて来た。言霊の把持操作体(はじそうさたい)としての天津日継が国民の前に現れて来たことである。お爺さんを向かて雀達は大喜びでご馳走をした。雀踊りを踊って見せた。雀踊りは天宇受売命(あめのうずめのみこと)の神楽舞(かぐらまい)である。

お爺さんが雀から軽い竹籠をお土産に貰って帰ってくると、意地悪婆さんも真似をして竹藪に出かけて行って、重い竹籠を貰って来た。ツヅラは綴(つづら)で、言霊を綴り合わせて文明を組織運営することである。軽い竹籠は言霊布斗麻邇であって、その竹籠の蓋を開くと、中から人類を幸福にする様々な法作が現れる。重い竹籠は概念などで綴った重苦しい哲学である。これを開いたら様々な妖怪が飛び出して来た。どんな怪物であるか、それは毎日諸君が眼の前に見、テレビや新聞で知らされている通りである。

この重い竹籠の怪物が現在全世界を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。ギリシャ神話ではこれをパンドラの箱という。

ジュピターがプロメシウス兄弟に贈った渦の箱である。その中には哲学が入っている。「舌切雀」は天の岩戸隠れと岩戸開きを説いている。 

(つづく)

スクリーンショット 2020-10-09 16.44.49

・・・・・・・・・・

【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)


いいなと思ったら応援しよう!

Parole
この記事は素晴らしい!面白い!と感じましたら、サポートをいただけますと幸いです。いただいたサポートはParoleの活動費に充てさせていただきます。