【まとめ】2021年9月20日〜9月25日のはふりこと(秋季皇霊祭 特別投稿集)
はふりめく 秋季皇霊祭での七澤代表の講話より(2017年9月23日)
元々、明治の大嘗祭の手前くらいまで、歴代の天皇の御霊を迎えて、白川が秋季皇霊祭をやっていました
これは私と高濱先生の約束でもあるのですが、正統に受け継がれた白川のおみちを、やるべきことがあれば必ずお知らせするということでした
今回についても、祭りの全容、意味というものを全て知らせて頂いて、今日、このように皆様と一緒に祭祀が出来たことは非常に良かったなと感じております
秋季皇霊祭の中身として、白川家が行っていた八神と一緒に、御皇霊をお祀りするということを、もう一度、しっかりと確認するということです
白川学館が出来たことで、少なくとも、そういう祭祀は伝えているわけでありますから、それをしっかりとお守りするということです
このように今、我々がまた受け継いで、神祇(じんぎ)が廃れることがないよう、伝えていこうということです
今の古神道から繋がる天皇といいますか、それはやはり、我々の人類の宝と言えるものだと思うんですね。それをしっかりとお守りする
天皇の技になるところを、神器の中身も含めてお伝えするということが、まさに白川の役割でありました
それを心に刻みまして、歴代御皇霊の前に、それを実現するということをお伝え申し上げまして、今回は、この秋季皇霊祭を皆様と共に出来ましたことが非常に良かったと思いました
はふりめく 秋季皇霊祭での七澤代表の講話より(2018年9月23日)
元々、人と神が一如の世界で、明治からは、神様を恭(うやうや)しく外に祀り上げてしまって、70年あるいは150年経ったのではないのかなと
その行為は、一神教的な神のあり様と言うんですかね、それに似せているような形ではあるんですが、日本の民族から神を遠ざけてしまいました
秋季皇霊祭では、御皇霊、それから言霊、五霊(八神)という形で、いよいよ新しい形でお迎えすることをさせて頂いているわけです
十種神寶(とくさのかんだから)は、実は、第一代の神武天皇がもたらされました。天皇という役職にお付きになるということの代表的な器の教えが、十種神寶になるわけです
十種神寶を「かく、ございます」ということの、その内容を表現するのが、白川であったということです
三種の神器は当然ですが、その前提にある十種神寶というもので、全体の説明知と器の教えをお出しするということがポイントにあります
その内容は、我々が実験祭祀学的に再現を果たしたと言っても良いと思うのです
はふりめく 秋季皇霊祭での七澤代表の講話より(2018年9月23日)
この白川の「おみち」を、私にお伝え頂いた高濱先生は「この白川の教えというものは、忽然と、民族の上に立ち上がってくる」ということをおっしゃっていました
だから「何にも不安になることはないんだよ」と。「もしも、自分がやるべきことがあれば、亡くなっても全て知らせるからね」と、そういう約束でした
その内容が、遺伝子の中から忽然と出てくるのです
皆さま方のお一人お一人が、そういうものをお持ちであって、メトロノームのように共振、共鳴して、全く同じ刻みをするようになってきています
日本人は、どこかの御皇霊の末裔ですね。全員がそうだということは、これは間違いないことです
しっかりと本質、概念をハッキリしていかないといけないということです。これまでのように、曖昧にしたり、神秘にしない。ただ神の話だけにしないということが、これからの大事な部分です
祓い、天津祝詞(あまつのりと) 太祝詞(ふとのりと)というのは、公ということの当たり前のところを、ただ表現するという祝詞であります
神を迎えるということを体感する。それが、やはりご修行ということになるわけです。ご修行ということを通じて体感をし、そして公ということの楽しさを実感していくということです
神というのは、True of Reality、真実の中の真実なのですから、それを体感するということは、決して神秘でもなんでもないのです
東大にいらっしゃった哲学者の大森先生が、言霊(ことだま)というものは立ち上がるもの、と言われました
神を言葉の中から立ち上げるということは、非常にミソな部分だと思います
1つの神様を立ち上げるということが、世界の平和と安寧に繋がるということが大事なところではないのかなと思います
人類の進化と、その安定と安寧。そして、繁栄を言葉から作っていく。そして、デジタル的な装置からも補助するということを、今、我々は証明しているのかもしれないのです
我々はお祓いの中で、神を立ち上げて、あるいは魂を立ち上げて、そしてイソノミヤといいますか、そういう世界をお知らせするということができれば、一番、良いのではないのかなと感じています
はふりめく 秋季皇霊祭での七澤代表の講話より(2019年9月23日)
白川は、灯明(とうみょう)と蝋燭(ろうそく)という両方あげて、民と君を結びます
民(たみ)は、田の実(「た」の「み」)ですから、(灯明として)菜種油を使います。君(きみ)は、木の実(「き」の「み」)ですので、櫨(はぜ:ウルシ科の木)の実(和蝋燭の原料)を使います
白川は、蝋燭と灯明の両方をあげるというお役であり、ちょうど君と民の間を取り持つような、中取持ちというか、中臣という意味でもあります
十種神宝御法(とくさのかんだからごほう)というものを、天皇陛下にお納めするという役割が、白川の中にはあったわけです
我々も実験祭祀学というような学問を立てて学ばせていただこうということで、その点を、なぞらせていただいています
我々の歴史の中で残ってきたものをしっかりと踏まえて、本来、白川がやったであろうところを、歴史として、作法として、それをお残しするという意味があります
今回、様々な残されていた伝承、作法というものを復習させていただいたということがあって、そのことが、広く、深く学ぶところがあったのではないのでしょうか
死しても、生きても、神ですけれども、死しても神になるという実際的な方法があることを、はっきりとお伝えしないといけない時が来ているかなということがあります
その実験もたくさんして、今や生前の供養というところまで、その手法、技法が進んでおりますけれども、当然、それは、デジタルにも可能であるということを示しています
今まで神秘的に捉えていました五魂も五霊も、我々はしっかりと階層性として学ぶということを既にやっております
命のある間から、5次元に入る道を学ぶ方法、あるいは、トレーニングする方法はないかということを、ずっとやってきたということがあります
死者と生者の関係が、豊かな情緒の中で迎えられる時が、いよいよ来るのではないのかなと
本当にそういう世界を体験できるということを、それが宗教ではなく、信仰ではなくて出来る時が、時代の中でいよいよ始まるのではないのかと
白川の中でのボディワークで、造化三神を早い段階でお迎えするというご修行というものもあります
御皇霊をお迎えするように、我々の遠津御祖神をお迎えして、そして学んで、その上での国津神、天津神をお迎えする、あるいは自然の神々をお迎えするということが、白川が皇室祭祀として残したものです
とにかく白川としては、全部皆さまにお伝えする。それが社会の進化、あるいは発達に繋がれば良いのではないのかなと思っております
はふりめく 233話より 2017年10月13日
歴代の御皇霊を親しく感じるということは、それは、自分たちの先祖を色々と辿ると、必ずどこかに行き着くということがあります
日本の文明が一種のオートポイエーシスというか、ラクビーの球を渡しながらゴールするように、その渡すラクビーの球が日本文明というかですね
それはもちろん、古神道であるわけです
そのように肝心なことをお渡しする中に、言霊も鎮魂もお祓いも入っているというかですね
今、この白川の門を叩いてくださって、応援をしてくださる方がたくさん出てきたということは、民族のDNAの中にそういう精神が伝わって、いよいよはっきりと協力体制として出てくるのではないのかなと。日本全国に応援の輪が広がっていると言っても良いと思います
そういうものも、いよいよこれから白川の皆さまを中心に協力して、ミッションを成し遂げるということでございますので、その点で皆さまのご協力を頂くことになりますけれども、どうかよろしくお願い申し上げます
以下URLより、最新の「はふりこと」をご覧いただけます
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