映画観た:チョコレートドーナツ
Any Day Now
監督:トラヴィス・ファイン
脚本:トラヴィス・ファイン / ジョージ・アーサー・ブルーム
公開:アメリカ 2012/12/14 日本 2014/4/19
出演:アラン・カミング / ギャレット・ディラハン / アイザック・レイヴァ
何かで観てずっと印象に残っていて、友人と一緒に観た。
舞台化するということでTwitterでも話題。
時代背景は1970年代。今から50年前のアメリカが舞台で、ゲイカップルがダウン症の子供を引き取りたいが、偏見と差別に阻まれてしまうという内容。
今でこそ、同性婚が認められている国では同性カップルが養子を育てることなんて普通になっているかと思うが、50年も前だと常識なんてまるっきり違う。
同性愛は異常なものだから子供にそんなものを触れさせてしまうと悪影響が出る、なんていうのが普通。
マイノリティへの偏見とおそらく宗教の関係もあって同性愛はかなりの禁忌とされているのもわかってる。ただ、その場合の悪影響ってなんだろうな、となんとなく思う。
マルコが実母のもとにいたときの家庭環境は劣悪で、母親は薬物依存な上に育児放棄されている。彼にとって居場所なんて全くない。
そんな彼に居場所を与えるきっかけをくれたのがルディ。その居場所を絶対的にしたのがポールだった。
彼らが一緒に暮らしていたのはたった1年だったが、その間二人はマルコが豊かに成長するための環境はすべてルディとポールより与えられていた。
勉強したり、誕生日を祝ったり、海へ遊びに行ったり。
普通の家族として過ごした。
ただ、さまざまな人が「同性愛は子供の養育によくない」という1点のみで引きはがした。
もちろん「いとこ」と関係を偽っていた二人もよくない。それで法的に責められるのは仕方ない。だが純粋に思うのは「同性愛者だからという理由で制限される権利って何?」ということ。
そして何よりマルコが彼らと一緒に生活することを望んでいたにもかかわらず、母親の保護管理の権利を復権させることによってさらに阻んだ。
いったいこの制限は誰のためになっているのかということを周りの誰も気づいていないし、その場合、必ず話し合わなければならない必要な論点を忘れている。
正直現代でもあることだろうし同性愛に限った話ではないだろうとも思う。
お互いが望んでればそれでよくね?といういたってシンプルな感情に落ち着けない。
確かアベニューQのお芝居の中での歌だったと思うけど、「私たちはちょっとずつ偏見と差別を持っている」というのがある。
君は差別していないなんていうけど、こんな差別を実はしているよね。私もそういった感情を持っているよ。でもそれをちょっとずつ自覚していけばちょっと世界が平和になるのかも?
確かそんな感じの内容の歌で、確かにな、と思ってずっと心の中に留めている。本作もそんな感じだな、とも思う。
差別と偏見はあるよ、でもその人にも権利があるからそれを制限してはいけない。みたいな。
でもその話は極めて理性的だし、人間は本能として知らないものを排除するので理想論だけでしかないんだろうなあと思う。
私も腐女子で同性愛のものを好むけれど、「同性愛に寛容か?差別はないか?」と言われたらそうではないとは思うし、この間実際にTwitterを見ながら自分が実はただ「私は寛容である」という勘違いをしていたことを自覚したし。
チョコレートドーナツの中で、ポールが「正義なんて存在しないのか」とつぶやいたときにロニーが「そんなの、法律を学んだときに一番最初に習っただろう。だから戦うんだ」というシーンがあった。
ロニーの言うとおりだなあ…。
人の数だけ正義はあるから絶対的な正義なんてない。
現実は物語みたいに正義と悪が分かれているわけでもない。
もし、マルコがダウン症ではなく、コミュニケーションがとりやすい子供であれば、きちんと考慮されて二人と一緒に過ごすことができたんだろうかとも思った。でも変わらないのかもな。
誰かチョコレートドーナツをハッピーエンドにするためには何が必要だったかを教えてください。
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